祝!大宝律令完成!これから全国各地のみんなにレクチャーが始まりますね!壬申の乱の後処理もして、文武天皇は紀伊旅行へレッツゴー!なんか大仏造りそうな世継ぎも生まれるしホンマにめでてぇ!

大宝二年(702年)

春正月一日  天皇は大極殿に御して朝賀を受けた。親王及び大納言以上は初めて礼服を着用し、諸王臣などそれ以下のものは朝服を着た。
正月八日  造宮職が杠谷樹の長さ八尋もあるものを献じた。(俗にヒヒラギ柊という)
正月十日  初めて紀伊国に賀陀(加太)の駅家を設けた。
正月十五日  群臣を大極殿の西閣に集めて宴して、五常楽・太平楽を奏し、歓楽を極めて終わった。身分に応じて物を賜った。
正月十七日  従三位の大伴宿禰安麻呂を式部卿とし、正五位下の美努王を左京大夫とし、正五位上の布施臣耳麻呂を摂津大夫とし、従五位下の当麻真人橘を斎宮頭とし、従四位上大神朝臣高市麻呂を長門守とし、正六位上の息長真人子老と丹比間人宿禰足嶋に従五位下を授けた。
正月二十五日  詔して、智淵法師を僧正とし、善往法師を大僧都とし、弁照法師を少僧都とし、僧照法師を律師とした。
二月一日  初めて新律(大宝律)を天下に頒布した。
二月十三日  越後国で疫病が起こった。医師や薬を贈って治療にあたらせた。この日大幣を班給するために駅馬を馳せて、諸国の国造らを京に入れさせた。
二月十九日  諸国の大租・駅起稲・義倉と兵器の数量を記入した文書を初めて弁官に送らせた。
二月二十日  諸国の国師を任命した。
二月二十二日  甲斐国が梓弓を五百張献上したのでそれを大宰府の用に充てた。この日、伊太祁曽・大家都比売・都麻都比売をそれぞれ分け遷した。
二月二十八日  諸国の国司らが初めて正倉の鎰を授けられて任地へ戻った。(これ以前には別に税司の主鎰が掌ったが、ここに至って初めて国司に給せられた。
三月五日  因幡・伯耆・隠岐の三国に蝗の発生で被害があった。
三月八日  初めて度(ものさし)・量(枡)を天下の諸国に頒布した。
三月十一日  正五位下の中臣朝臣意美麻呂・従五位下の忌部宿禰子首・従六位下の中臣朝臣石木・忌部宿禰狛麻呂・正七位下の菅生朝臣国鉾・従七位下の巫部宿禰博士・正八位上の忌部宿禰名代にともに位一階を昇進させた。
三月十二日  大安殿の鎮め祭をして大祓をした。天皇は新宮の正殿に御して斎戒し、幣帛を畿内と七道全ての諸社に頒布した。
三月十七日  大倭国に命じて、二槻離宮を修理させた。越中国のうち四郡を割いて越後国に属させた。
三月二十三日  美濃国多伎郡の民七百十六人を近江国蒲生郡に遷した。
三月二十七日  信濃国が梓弓千二十張を献上したので、それを大宰府用に充てた。
三月三十日  大宰府が所管の国の国司の掾以下の者と郡司らを自ら選考することを許可した。
夏四月三日  賀茂祭の日、民衆が寄り集まって武器を執り騎射することを禁じた。その国(山背国)の人々だけはこの限りではなかった。
四月八日  飛騨国が神馬を献じた。そのために天下に大赦をしたが、盗人はこの赦の内に入れなかった。その国の目以上の国司と祥瑞を出した郡の大領にはそれぞれ位一階を進め、身分に応じて禄を授けた。人民には三年間賦役を免除し、祥瑞を見つけた僧隆観には罪を免じて京に入ることを許した(隆観は流罪となっていた幸甚の子)。また、全ての親王以下畿内の有位者に物を授け、諸国に今年の田租を免除し、合わせて庸を半減した。
四月十日  従七位下の秦忌寸広庭が杠谷樹の鉾のような根を持った八尋もある大木を献上した。使いを遣わして伊勢大神宮に奉納した。
四月十三日  詔して諸国の国造をつとめる氏族を指定した。その氏族の名前は『国造記』に詳しく載せてある。
四月十五日  筑紫七国と越後国に命じて、采女・兵衛を選び任命し貢進させた。ただし、陸奥国は除外した。
五月五日  次のように詔した。 若し五世王が自分で訴訟することがあって受理すべき場合は特別に座席を与えてそこで裁定するようにせよ。
五月二十一日  天皇は従三位の大伴宿禰安麻呂・正四位下の粟田朝臣真人・従四位上の高向朝臣麻呂・従四位下の下毛野朝臣古麻呂・小野朝臣毛野に詔して朝廷の政治に参加させた。
六月六日  大倭国の吉野・宇知の二郡の人民の租税負担を免除した。
六月七日  上野国に疫病が起こり薬を給付して救済した。
六月二十四日  従三位の大伴宿禰安麻呂を兵部省の長官に任じた。
六月二十八日  海犬養門に落雷があった。
六月二十九日  遣唐使らが去年九州から出港したが、風浪が激しく渡海困難であったが、この時になってようやく動き出した。

秋七月四日  勅が出されて、親王が乗馬のまま宮門に入ることを禁じた。
七月八日  次のように詔された。 伊勢大神宮の封庫からの物資は神の御品である。神事にお供えする物に倣って濫りに穢すことのないようにせよ。 また、山背国乙訓郡部ある火雷神は雨乞いをするたびに霊験がある。大幣と月次祭の幣帛を奉ることにせよ。
七月十日  詔して内外の文官武官に新令を読み習わせた。美濃国大野郡の人、神人大が蹄の八つある馬を献上したので、稲千束を与えた。
七月十一日  天皇は吉野離宮へ行幸された。
七月三十日  初めて大宝律を講義した。この日全ての罪人を放免した。

続日本紀「文武天皇(8)」登場人物

<文武天皇>
第42代天皇。大倭国にて順調に大宝律令導入を進めております。

<美努王>
奈良時代のフィクサーこと県犬養橘三千代の最初の旦那。のちの左大臣橘諸兄のパパ。

<中臣朝臣意美麻呂>
中臣鎌足の婿養子。政治的なご事情でお名前が中臣→藤原→中臣と出戻り中臣した。ちょっとかわいそう。

<大伴宿禰安麻呂>
記念すべき原初の参議である。大伴旅人や坂上郎女のパパ。

<粟田朝臣真人>
記念すべき原初の参議である。でもその後すぐに大宝律令を持って唐に渡る。イケメンは忙しいのである。

<下毛野朝臣古麻呂>
記念すべき原初の参議である。律令選定メンバーの一人。栃木で結構推されてる。

<藤原不比等>
ビッグな孫&ビッグな娘爆誕おめでとー!大宝律令もやっと完成したね!長女さんはその、お大事に……。

<多治比真人嶋>
天武朝以来の功臣。竹取物語に登場する貴族の一人石作皇子はこの嶋がモデルらしい。