病床の鎌足を憂いた天智天皇は自ら見舞いをし、やがて大織冠の地位と新たな姓を授ける。藤原氏誕生の瞬間である。


(三三)
 天智天皇二年の冬。十月に入り、大臣(中臣鎌足)は日に日に体調が悪くなり、やがて危篤になってしまった。帝(天智天皇)は大臣の屋敷にいらっしゃって、自ら彼を見舞われた。そして、大臣の病が治るよう、天の神に祈られた。
 しかし翌日。帝の願いも叶わず、大臣はますます病に蝕まれていった。帝は詔し、「何か言いたいことがあれば申せ」と述べられた。大臣はそれを受け、「至らぬ私が申し上げられることなどございません。強いていうのならば、私の葬儀は簡単なものにしてください。生きている時でさえお国の役に立てなかったのに、どうして死んでまで民を苦しめられましょうか」と申し上げた。そう言うやいなや、大臣は床に伏してしまい、もう言葉を紡がれることはなかった。帝は悲しみに耐えられず咽び泣き、すぐに宮へとお帰りになられた。

(三四)
 後日、帝は東宮大皇弟(大海人皇子)を大臣の屋敷へ遣わし、次のように詔した。
「はるか昔から、天皇の御代を支え、政の補佐をした大臣は数多く居た。しかし、公(鎌足)の功や才を鑑みれば、他の大臣とは比べ物にならない。私だけがそう思い、寵愛している訳では無い。今後の天皇たちもきっと公の子孫たちを愛するであろう。きっと皆、忘れることも欠けることもなく、広く厚く功績に応えよう。近頃は特に病が重いと聞き、私はより一層心を痛めている。よって、お前を功績に見合った任につけようと思う」
 帝は大臣を太政大臣に任じると、織冠を授け、姓を改めて藤原朝臣とされた。

挿絵:あめ
文章:なんか色々

藤氏家伝「鎌足伝(13)」登場人物紹介

<天智天皇>
 かつての中大兄皇子。共に政を行ってきた鎌足を大切に思っている。

<藤原鎌足>
 天智天皇の右腕。乙巳の変頃から天智を支えてきたが、ついに病に倒れてしまった。