中大兄皇子が称制し、仁と恵みによる政治で内外を治めた。鎌足との親密な関係も称えられ、高句麗王から賞賛の書が届く。


(二八)

白鳳十四年(663年)、中大兄皇子が天皇に代わって政務を執ることとなった。

若き日の苦労を共にして以来、(鎌足との)親交はいよいよ深まり、関係はたとえ義においては君臣であっても、礼節はまるで師友のようであった。
屋外では同じ車に乗り、並んで馬にまたがり、屋内では敷物を接して座ったり膝を接して語り合うほどであった。

中大兄皇子の政(まつりごと)は、あくまで簡素で寛やかであり、民衆の教化には、仁と恵みが貫かれていた。かくして、その徳は天下に広まり、威は国外にまで届いた。

そのため、三韓は服属して貢ぎ物を納め、万民は平和に暮らすことができた。

このことから、かつて高句麗の王は、鎌足宛てに公的な書簡を送り、こう述べた。

「大臣たるあなたの仁の風は遠くまで扇のごとく広がり、威と徳は果てしなく行き渡っている。王の教えを千年にわたって伝え、芳しき風を万里にまで広める。国の柱石として、民のための船や橋となる。一国が仰ぎ見る存在であり、民すべてが望みをかける人である。遠くからこの知らせを聞いて、喜びに手を打ち、馳せて慶びを申し上げる。」

挿絵:なんか色々
文章:くさぶき

藤氏家伝「鎌足伝(11)」登場人物紹介

<中大兄皇子(後の天智天皇)>
天皇に代わって政務を担う。仁と寛容を重んじた政治で内政外交を安定させ、広く徳を及ぼした。

<藤原鎌足>
皇子の側近であり政治の同志。君臣ながら師友のような親交を結び、皇子の信頼厚く、国外からも賞賛された。

<高句麗王>
日本の政治を称賛し、鎌足に感謝の書を送った朝鮮半島の王。中大兄皇子の治世と鎌足の徳に敬意を表した。