あらすじ
文武天皇治世4年目!道照和尚がお亡くなりになられたよ(涙)。
文武天皇四年(700年)
春正月七日 新田部皇子に浄広弐の位を授けた。
正月十三日 詔があり、左大臣多治比真人嶋に霊寿の杖と輿及び供人とを賜った。高齢のためである。
二月五日 上総国司が安房郡の大少領に、父子兄弟を並べて任用することを請うた。これを許した。
二月八日 丹波国に命じて錫を献上させた。
二月十九日 越後佐渡二国に岩船柵を修営させた。
二月二十二日 巡察使を東山道に遣わして、非違を検察させた。
二月二十七日 皇親・臣下や畿内に重ねて武器を備えるよう勅を下された。
三月十日 道照和尚が物化(死去)した。天皇は甚だ悼んで、使いを遣わして弔い、物を賜わった。和尚は河内国丹比郡の人である。俗姓は船連、父は少錦下の恵釈である。和尚は持戒・修行に欠けることがなく、忍辱の行を尚んだ。
ある時、弟子がその人となりをためそうと思い、密かに和尚の便器に穴をあけておいた。そのため穴から漏れて寝具をよごした。和尚は微笑んで「いたずら小僧が、ひとの寝床を汚したな?」と言っただけで一言の文句も言わなかった。
はじめ孝徳天皇の白雉四年に遣唐使に随行して入唐した。ちょうど玄奘三蔵に会い、師と仰いで業を授けられた。三蔵は特に可愛がって同じ部屋に住まわせた。ある時、次のように言った。「私が昔、西域に旅した時、道中飢えに苦しんだが、食を乞うところも無かった。突然一人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を、私に与えて食わせてくれた。私はその梨を食べてから、気力が日々健やかになった。今お前こそはあの時、梨を与えてくれた法師と同様である」と。
また次のようにも言った。「経論は奥深く微妙でら究めつくすことは難しい。それよりもお前は禅を学んで、東の国の日本に広めるのがよかろう」と。道照和尚は教えられたことを守って、初めて禅定を学び、悟るところが次第に広くなった。その後、遣唐使に随って帰朝するとき、別れ際に三蔵は、所持した舎利と経論を悉く和尚に授けて言った。
「論語に――人間こそよく道を弘めることができる――という言葉がある。今この言葉を私はお前につけ足して贈りたい」と。
また一つの鍋を和尚に授けて言った。「これは私が西域から持って帰ったものである。物を煎じて病に用いると、いつも霊験があった」と。
そこで和尚はつつしんで礼を述べ、涙を流して別れた。
帰国の一行が登州についた頃、使いの人々の多くが病気になった。和尚が鍋を取りだして、水を温め粥を煮て、遍く病人たちに食べさせた。するとその日すぐに病気がなおった。そこで纜を解いて海に乗り出した。海のただ中に及んだ頃、船が漂いだしてどうしても進まず、七日七夜にもなった。皆が怪しんで「風の勢いは快調である。出発以来の日を数えると、本国日本に着けるはずだ。それなのに船が敢て進まないのは、思うに、何かのわけがあるのだろう」と言った。占い師が「海神竜王が鍋を欲しがっているのだ」と言った。これを聞いた和尚は「この鍋こそは三蔵法師が、私に施して下さったものです。どうして竜王が無理に求めようとするのでしょうか」と言った。しかし皆の者は、「今、鍋を惜しんで与えなかったら、恐らく船が覆って全員魚の餌食になるだろう」と言った。そのため和尚は鍋を取って海中に投げ入れた。すると忽ち船はすすみはじめ、一行は日本に帰り着いた。

道照和尚は元興寺(飛鳥寺)の東南の隅に、禅院を建てて住んだ。この時、国中の仏道修行を志すもの達は、和尚に従って禅を学んだ。後に和尚は天下を周遊して、道の傍らに井戸を掘り、各地の渡し場の船を造ったり、橋をかけたりした。
山背国の宇治橋は、和尚が初めて造ったりものである。和尚の周遊はおよそ十余年に及んだが、寺に還って欲しいという勅があり、禅院に戻って住むようになった。
座禅は旧の如く熱心に重ねた。そしてある時は三日に一度起ったり、七日に一度起ったりする状態であったが、ある時、俄かに香気が和尚の居間から流れ出した。弟子たちが驚き怪しんで居間に入り、和尚を見ると、縄床に端座したまま、息途絶えていた。時に七十二歳であった。
弟子たちは遺言の教えに従って、栗原で火葬にした。天下の火葬はこれから始まった。世の伝えでは、火葬が終わったあと、親族と弟子とが争って、和尚の骨を取り集めようとすると、俄かにつむじ風が起こって灰や骨を吹き上げて、どこに行ったか分からなくなった。当時の人はふしぎがった。のち、都を奈良に移す時、和尚の弟と弟子たちとが天皇に上奏して、禅院を新京(平城京)に移築した。今の平城京右京の禅院がこれである。この禅院には経論が沢山あり、それらは筆跡が整って良く、その上誤りがない。全て和尚が唐から持ち帰ったものである。
続日本紀「文武天皇(4)」登場人物
<文武天皇>
第42代天皇。まだまだ元気。
<道照和尚>
唐に行ったり三蔵法師に弟子入りしたり全国行脚して土木工事したり禅を極めたりしたお坊さん。弟子に嫌がらせをされても怒らない寛容な和尚。でも師匠から貰った鍋を捨てるのには葛藤が……。
<玄奘三蔵>
言わずと知れた最遊記の人。最遊記の元ネタの人。天竺まで経典求めて三千里。