二年目に突入した陛下、早速疫病や旱魃に見舞われております。一大イベント大嘗祭を無事執り行い、不比等も準備万端!いざゆけ、文武天皇!がんばれ文武天皇!


『続日本紀』 文武天皇(2)

文武天皇二年(698年)
春正月一日
 天皇は大極殿に出御して朝賀を受けた。文武百官及び新羅の朝貢使は拝賀した。その儀式は常の通りであった。
正月三日
 新羅の使いの一吉飡金弼徳らが調物を献上した。
正月八日
 土佐国が牛黄を献じた。
正月十七日
 新羅の貢物を諸社に供した。
正月十九日
 直広参土師宿禰馬手を使わして、新羅の貢物を大内山陵(天武天皇陵)に献じた。
二月三日
 金弼徳らが本国に帰った。
二月五日
 天皇が宇智郡に行幸された。
二月十二日
 百官で相当職にある者と、才伎長上とに、身分に応じて禄を授けた。
二月十五日
 武官に身分に応じて禄を授けた。
三月五日
 因幡国が銅鉱を献じた。
三月七日
 越後国が疫病の流行を報告したので、医師と薬を給してこれを救済した。
三月九日
 次のような詔をされた。
 筑前国の宗像、出雲国の意宇の両郡の郡司(四等官)は共に三等以上の親族を続けて任用することを許す。
三月十日
 諸国の郡司を任じ、もってその諸国司らに詔した。
 郡司の選考に偏頗があってはいけない。郡司もその職にある時は、必ず法の定めに従え。これより以後このことに違背してはならぬ。
三月二十一日
 山背国の賀茂祭の日に、大勢の者を集めて騎射することを禁止した。
三月二十二日
 詔をして、恵施法師を僧正に、智淵法師を少僧都に、善往法師を律師にしそれぞれ任命した。
夏四月三日
 近江・紀伊の二国に疫病がはやった。医師・薬を給してこれを治療させた。侏儒(背の低い人)で備前国の、秦大兄に香登臣という氏姓を賜った。
四月十三日
 務広弐の文忌寸博士ら八人を南嶋に遣わして、国を探させた。そのため兵器を給した。
四月二十九日
 馬を芳野水分峯神に奉った。雨乞いのためである。
五月一日
 諸国に早害が起きた。それで幣帛を諸国の神社に奉った。
五月五日
 使いを京と畿内に遣わし、名山・大川に雨乞いをした。
五月十六日
 使いを諸国に遣わして、田や畑を巡視させた。
五月二十五日
 大宰府に命じて、大野・基肄・鞠智の三城を修繕させた。
六月八日
 近江国が白樊石を献上した。
六月十四日
 越後国の蝦狄が特産物を献上した。


六月二十八日
 馬を諸神社に奉った。雨乞いのためである。
六月二十九日
 直広参田中朝臣足麿が卒した。詔を出して、直広壱を贈られた。壬申の乱に功があったからである。
秋七月一日
 日蝕があった。
七月七日
 官有や私有の奴婢で、民間に逃げ隠れたりするものがあるのを、届け出ないものがあるので、ここに初めて笞の法を定め、奴婢の逃亡中の仕事を弁償させた。その事柄は別式にある。また博奕や賭け事をして、遊び暮らしている者を取り締まった。またその場所を提供した者も同罪とした。
七月十七日
 下野・備前二国が赤烏を、伊予国が白鉛を献じた。
七月二十五日
 直広肆高橋朝臣嶋麻呂を伊勢守とし、直広肆石川朝臣小老を美濃守に任じた。
七月二十七日
 伊予国が鉛の鉱石を献じた。
八月一日
 茨田足嶋に連の姓を賜った。
八月十九日
 次のように詔された。
 藤原朝臣(鎌足のこと)に賜った姓は、その子の不比等に継承させる。ただし、意美麻呂は、氏族本来の神祇のことを掌っているから、藤原朝臣の姓から旧姓の中臣に戻すべきである。
八月二十日
 高安城を修理した。〈天智天皇の五年に築いた城である〉
八月二十六日
 朝廷の儀式の礼法を定めた。詳しくは別式にある。
九月一日
 無冠の麻続豊足を、麻続氏の氏上とし、無冠の麻続大贄を助とし、進広肆の服部連佐射を氏上とし、無冠の服部連功子を助とした。
九月七日
 下総国で大風が吹いて、民衆の住居を壊した。
九月十日
 当耆皇女を遣わして斎宮とし、伊勢神宮に仕えさせた。
九月二十五日
 周防国が銅鉱を献じた。
九月二十八日
 近江国に金青を献上させた。伊勢国には朱沙・雄黄、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙、安芸・長門の二国には金青・緑青、豊後国には真朱を献上させた。
冬十月四日
 薬師寺の造営がほぼ終わったので、僧たちに詔を下しその寺に住まわせた。
十月二十三日
 陸奥の蝦夷が特産物を献上した。
十一月一日
 日蝕があった。
十一月五日
 伊予国が白鉛を献上した。
十一月七日
 使いを諸国に遣わして大祓を行わせた。
十一月二十三日
 大嘗祭を行った。直広肆の榎井朝臣倭麻呂が、大楯を大嘗宮の門に立て、直広肆の大伴宿禰手拍が楯と桙を立てた。神祇官の官人と、大嘗祭の仕事にお仕えした尾張・美濃二国の郡司や百姓らに、それぞれの仕事に応じて物を賜った。

十一月二十九日
 下総国が牛黄を献じた。
十二月五日
 対馬嶋司に命じて、金の鉱石を精錬させた。
十二月二十一日
 越後国に石船柵を修理させた。
十二月二十九日
 多気大神宮を度合郡に遷した。
十二月三十日
 勤大弐の山代小田に直広肆を追贈した。

挿絵:あめ
文章:木春


『続日本紀』 文武天皇(2)登場人物紹介

〈文武天皇〉
第42代天皇。この年ついに大嘗祭が行われました!全体的に旱魃と疫病に見舞われ祈祷をたくさんしているイメージ……。スタートからすでに大変なんだぜ……。

〈藤原不比等〉
中臣鎌足の次男、文武の義理の父、聖武の祖父。ついに藤原朝臣姓を独占(?)しましたおめでとう!!下積みが長かった不比等さん、今こそ飛躍の時っ!