孝徳天皇は鎌足の功績を称え、地位や封地を与えた。鎌足は人材登用や制度整備で国家の安定を築いてゆく。

孝徳天皇は詔を下し「国家の安定は、まさしく鎌足の尽力によるものである。車や書物が同じ道を進むように国家は統一され、万事が順調に運んでいる。この功績により、鎌足に大錦冠(だいきんかん)を授け、内臣の地位を与え、二千戸の封地を授けよう。軍国の重要な事項については、すべて鎌足に任せる。」と述べられた。

鎌足は林や藪を探すように遠方まで足を運び、身分の卑しい者でも役人として引き上げた。人々はそれぞれの適した官職を得て、在野には無駄な人材が残されることがなかった。その結果、九つの官職の序列が整い、五品の位(儒教に基づく政治)が調和を保った。

白鳳五年(675年)秋8月、天皇は次のように詔を発した。「道を重んじ、賢者を任用することは、古代の王たちが守ってきた規則である。功績を褒め称え、徳を報いることは、聖人たちの格言にもある。今、大錦冠を授けられた中臣連鎌足は、建内宿禰(たけうちのすくね)にも匹敵する功績を持っている。しかし、彼の地位はまだ民の望みに達していない。そこで、特別に紫冠(しこう)に叙し、封地を八千戸増やす。」

しばらくして、天万豊日天皇(軽皇子)は、すべての政務を終えて、白雲のように世を去った。皇祖母尊(皇極天皇)は、世の願いに応じて、再び斉明天皇として重祚した。すべての執務は中大兄皇子に委ねられ、中大兄皇子は全ての事柄について鎌足に相談して決定を下し、施行した。

このころ、遠く海山を越えて朝貢は絶えることなく続き、国内では、食に満ち足りた民衆たちが腹鼓を打って豊作を祝い、ますます豊かになった。これも、君主(斉明天皇と中大兄皇子)が聖であり、臣(鎌足)が賢であるからこそ、このような美しい状態をもたらすことができたのだ。

そのため、斉明天皇は鎌足に大紫冠を授け、爵位を上げて公爵となり、さらに五千戸の封戸を与えた。これにより、封地は合わせて一万五千戸となった。

挿絵:やすみ
文章:くさぶき


登場人物紹介

<孝徳天皇>
第36代天皇。鎌足の功績を高く評価し、大錦冠や地位・封地を授与して厚遇した。


<中臣鎌足>
天皇や中大兄皇子を支えた臣下。適材適所の人材登用や政治制度の整備で国家の安定に大きく貢献した。