大海人皇子は、野上に進み、全軍の指揮権を息子の高市皇子に任せた。
そして、和蹔(わざみ)にて、とうとう全軍に軍事行動の発動を宣言する。


日本書紀「天武天皇(5)」
 二十七日に高市皇子は使者を桑名郡家に派遣して、奏上して「御在所から遠くに居りましては、政務を行うのもすこぶる不便です。近いところにいらして下さい」と申し上げた。
 その日のうちに、大海人皇子は、妃を残し、不破に入られた。
 郡家に至るあたりで、尾張国司守の小子部連鉏鉤(ちいさこべのむらじさひち)が、二万の軍勢を率いて帰還した。大海人皇子はすぐにお褒めになって、その軍勢を分割して配置し、方々の道を封鎖した。
 野上にたどり着かれた時に、高市皇子が和蹔(わざみ)より出迎え、ただちに奏上して「昨夜、近江朝廷より、駅使が馬を馳せて到来しました。
 そのため、伏兵に命じて捕らえると、書直薬(ふみのあたいくすり)と忍坂直大麻呂(おしさかのあたいおおまろ)でした。何処に向かっていたのかと問いただしました。
 すると、『吉野の大海人皇子の御謀反に対抗するために、東国の軍勢を動員しようと派遣された韋那公磐鍬(いなのきみいわすき)の同志である。すると、磐鍬は伏兵を察して、すぐに逃走したようだ』と答えました」と申し上げた。
 かれこれする間に、大海人皇子は、高市皇子に「近江朝廷は、左大臣や右大臣、そして謀略に長けた群臣たちが、ともに協議している。今、朕はともに協議する相手がいない。ただ年少の実子らがいるだけだ。どうしようか」と仰った。
 高市皇子は腕を捲って、剣を固く握って「近江朝廷の群臣が多くても、どうして天皇の御魂に反逆できましょうや。天皇がお一人でいらっしゃるとはいえ、私、高市は神祇の御魂を頼み、天皇の命を受けて、諸将を率いて征討しようというのです。どうして敵軍に防ぐことができましょうか」と申し上げる。
 大海人皇子は高市皇子を褒め、手を取って背中を撫でて「決して、油断するな」と仰った。

 そして、鞍を乗せた馬を下賜して、全軍の指揮権をお授けになった。高市皇子は、和蹔に帰還した。大海人皇子は行宮を野上に営んで滞在された。
 この日の夜、雷鳴がとどろき、激しく雨が降った。
 大海人皇子は占って「天神地祇よ、朕を助けるおつもりなら、雷と雨をお止めください」と仰った。
 言い終わってすぐに雷と雨が止んだ。
 二十八日に、大海人皇子は、和蹔にお出ましになって、軍務について監察なさってご帰還なされた。
 二十九日に、大海人皇子は、和蹔にお出ましになり、高市皇子に命じて、全軍に軍事行動の発動を号令した。大海人皇子は、再び野上にご帰還なされた。
 この日に、大伴連吹負(おおとものむらじふけい)は、留守司(とどまりまもるつかさ。飛鳥京の防衛のために置かれた官司)の坂上直熊毛(さかのうえのあたいくまけ)と密かに共謀し、漢直(あやのあたい)のうち一・二の氏族に「自分は高市皇子と偽って、数十の騎兵を率いて、飛鳥寺の北の道から出でて駐屯地に向かおう。その時はお前たち内通せよ」と言った。
 そうこうするうちに、百済の家で兵装を整えて、南の門より出発した。
 まず、秦造熊(はだのみやつこくま)に褌を履かせて、馬に乗せて、馬を駆けさせ、寺の西の駐屯地の内部に向かって「高市皇子が不破より到来した。多数の軍勢が従っている」と叫ばせた。
 そこで、留守司の高坂王(たかさかのおおきみ)と近江朝廷が軍勢を動員するために派遣した使者である穂積臣百足(ほづみのおみももたり)らは、飛鳥寺の西にある槻の木の下に駐屯地を造営した。
 ただし、百足だけは小墾田(おはりだ)の兵器庫にいて、兵器を近江に運搬していた。
 その時、駐屯地の中の軍勢は、秦熊が叫ぶ声を聞いて、ことごとく逃げ散った。
 そこに大伴連吹負が数十の騎兵を率いて、突然現れた。すぐに、熊毛と倭漢氏の諸族らは和睦した。兵士らもそれに従った。
 そこで、高市皇子の命令と称して、穂積臣百足を小墾田の兵器庫に呼び寄せた。百足は馬に乗ってゆっくりと来た。
 飛鳥寺の西にある槻の木の下に来た際に、ある人が「馬より下りろ」と言った。だが、百足は馬から下りるのが遅かった。すぐにその襟を持って百足を引きずり落とし、弓を射って、矢を一本命中させた。そして、刀を抜いて斬り殺した。
 その時、穂積臣五百枝(ほづみのおみいおえ)と物部首日向(もののべのおびとひむか)を捕縛した。
 しばらくして、赦免して軍勢の中に配置した。
 また、高坂王と稚狭王(わかさのおおきみ)を呼び寄せて、軍勢に従わせた。
 そのうちに、大伴連安麻呂(おおとものむらじやすまろ)・坂上直老(さかのうえのあたいおきな)・佐味君宿那麻呂(さみのきみすくなまろ)らを不破宮(野上の行宮)に派遣して、事の次第を奏上した。
 大海人皇子は、大いに喜ばれた。よって、吹負に命じて将軍に任命した。
 この時、三輪君高市麻呂(みわのきみたけちまろ)・鴨君蝦夷(かものきみえみし)らや、様々な豪傑たちが、ただちにことごとく将軍の麾下に集結した。
 すぐに近江朝廷を襲撃する計画を立てた。
 その豪傑たちの中でもさらに優れている者を選んで、副将や軍監に任命した。
 七月一日に、まず乃楽(なら)に向かった。


挿絵:茶蕗
文章:紀貫過


日本書紀「天武天皇(5)」登場人物紹介

〈高市皇子〉
大海人皇子の最年長の息子。野上にて大海人皇子より全軍の指揮を任される。

〈大海人皇子(天皇)〉
天智天皇の同母弟。天智天皇の死後、その子である大友皇子の主導する近江朝廷と対立を深める。そして、ついに和蹔(わざみ)にて軍事行動の発動を号令する。