鎌足は蘇我倉山田石川麻呂との政略結婚を提案し、計画を進めるが、石川麻呂の娘が連れ去られてしまう。


(八)蘇我本家打倒計画(1) 鎌足の妙策

 中大兄皇子は鎌足にこう訪ねた。
「王の政治が大夫(まえつきみ。議政官)によって左右され、周王室の権威が魯の公族・季孫氏に移ったように、皇位が重臣の手に渡ろうとしている。鎌足ならばこの事態にどう対処する」
 鎌足は、乱れた世を治め、正道に戻すための計略を子細に伝えた。中大兄皇子はこれを喜び、「まさに鎌足は、漢の子房(張良)の如く信頼に値する存在だ」と言った。
 大臣は勢力のある一門の助力を求めようと思い、入鹿と不仲な人物を密かに探していた。すると、蘇我倉山田石川麻呂が入鹿といがみ合っていることを突き止めた。中大兄皇子にそのことを報告し、
「蘇我倉山田石川麻呂の人柄を観察したところ、意思が強く勇敢で、その威光と人望も厚い人物です。彼を味方つけることができれば、必ずや計画が成功するに違いありません。どうか、まずは彼の娘と姻戚関係を結び、その後、肝心の戦略を実行にお移しください」と述べた。中大兄皇子はこの意見に同意した。
 そして石川麻呂の家に赴いて長女との結婚を申し出たところ、石川麻呂はこれを承諾した。

(九)蘇我本家打倒計画(2) 中大兄皇子の政略結婚

 1月、2月、3月と瞬く間に日は過ぎ、嫁入りの華やかな行列を迎えようとするまさにその時、蘇我倉山田石川麻呂の弟である蘇我日向が、嫁入りすることになっていた石川麻呂の長女をそそのかして連れ去ってしまった。石川麻呂は思い悩み、驚き慌て、どうしたらよいか途方に暮れた。
 その傍らにいた次女・越智娘が、父親の思い悩む様子を見て問いかける。
「どうしてそんなに悔しがっているのですか」
 石川麻呂がその理由を話したところ、越智は、「私は、美人と誉れの高い越の西施のような容姿ではありませんが、醜くても聡明だった黄帝の妃・嫫母のような心を持っています。私を変わりにお嫁入りさせてください」と言った。父は大変喜び、次女を中大兄皇子に嫁がせることにした。
 中大兄皇子は蘇我日向の無礼に怒り、刑罰を加えようとした。大臣はこれを諌めて、「すでに国家に関する重要な計画を決定をされたのです。どうして家庭内の些細な過失にお怒りになるのですか」と進言した。中大兄皇子は、日向を処罰することを思いとどまられた。

(十)蘇我本家打倒計画(3) 蘇我倉山田石川麻呂との密議

‌ こうしたことがあった後、鎌足は石川麻呂に対し、おもむろにこう切り出した。
「入鹿の横暴なふるまいは、人も神もみなが憎んでいます。もし悪人同士が助け合って悪事を働けば、必ずや一族滅亡の災いがあるでしょう。慎重に情勢を判断してください」
 と言ったところ、石川麻呂は「私もそのように思っておりました。謹んでご意思に従います」と言った。
 そこで一緒に計画を練り、ただちに戦いを起こそうとした。
「忠誠心を持って事前に陛下(皇極天皇)にご報告しようと思うが、計画が失敗することを恐れている。そこで、報告せずに黙っていようと思うのだが、それだと陛下を驚かせてしまうため苦慮している。臣下としての行いは、どうすれば同義にかなうのか。私のために意見を述べてくれ」と声をかけたところ、鎌足は
「臣下として成すべきことは、忠と孝であります。忠孝の道は、国を完全な状態に保って一族の勢いを盛んにすることです。もし、天皇による統治という法が混乱によりなくなって帝王の事業の基盤が崩れ去ったら、不孝であり不忠であることは、これに及ぶべくもありません」と答えた。

 中大兄皇子は「私が成功するかどうかは、そなたにかかっている。くれぐれも慎重を期すように」と言った。そこで鎌足は佐伯連古麻呂と稚犬養連網田を推薦して「武勇にすぐれ決断力があり、鼎を持ち上げるほどの力持ちです。重要な計画に参与できるものは、この二人をおいて他にはいません」と言った。中大兄皇子はこの意見を承認した。


挿絵:あんこ
文章:くさぶき


登場人物紹介

<蘇我倉山田石川麻呂>
蘇我入鹿の従兄弟。中大兄皇子の岳父になる。

<蘇我日向>
石川麻呂の弟。