三島での隠棲を始めた鎌足は、やがて軽皇子と親しく交流するようになる。
(4)三島の別荘での隠棲
舒明天皇の御代の始め頃。良い家柄の子弟を選び、錦冠(当時の冠位の第四位)を授け、家業を継がせた。しかし、鎌足は中臣氏が代々担当してきた神官になることを固く断って、三島(大阪府高槻市付近)の別邸へ帰った。そうして、仕官を求めず自然の田野に隠棲し、生来の性質を養い育てて志を高く清く保った。
そうした時、舒明天皇が急に亡くなられ、皇后の宝皇女が即位された。しかし彼女には政治的な求心力がなく、皇室の権力は衰退し、政治は蘇我蝦夷や入鹿を中心に行われるようになった。大臣はこのことを心の中で憤り、嘆いた。
(5)軽皇子との出会い
ある時、軽皇子が足の病で参内しなかった。大臣は昔から軽皇子と親しくしていた。時に、軽皇子の宮へ伺い、夜を明かすこともあった。この時も皇子の宮に参上して一晩中語り合い、疲れることも忘れるほどであった。
軽皇子は、鎌足が遠大な構想を持ち、賢明な計画を立てる能力が抜きん出ていることを知って、礼儀をもって手篤くもてなし、鎌足とよしみを結ぶよう取り計らった。そこで寵愛する妃に命じて、朝に夕にそばについて世話をさせた。住まいや食事は普通の人とは異なる待遇ぶりであった。
大臣は軽皇子の恩恵のある待遇に感動し、親交のある舎人にこっそりと告げた。
「特別に手厚い恩恵を受けておりますことは、まさに思ってもみなかった幸せです。どうして、貴方の主君に天皇となっていただかないことがありましょうか。いつかは必ず天皇の位に······」
君子たるものは言ったことを必ず実行するもので、それは後に軽皇子を即位させたことに現れている。
舎人が鎌足の言葉をお伝えしたところ、軽皇子は大いに喜ばれた。しかし軽皇子の度量の大きさは、鎌足とともに大きな事業を企てるには不十分であった。
挿絵:あんこ
文章:あめ
藤氏家伝「鎌足伝1-3」登場人物紹介
<大臣>
中臣鎌足。中臣御食子の子。後の藤原鎌足で、藤原氏の始祖となる。
<宝皇女>
舒明天皇の皇后で、後の皇極・斉明天皇。中大兄皇子の母。
<蘇我蝦夷・入鹿>
蘇我馬子の息子と孫。当時力を持っていた豪族。
<軽皇子>
後の孝徳天皇で、宝皇女の同母弟。有間皇子の父。