時忠には悩みがあった。頼朝に見られれば処刑されるかもしれない内容の手紙を、義経に取られてしまったのだ。
平家物語「平大納言文の沙汰」
平大納言時忠卿父子も、九郎判官義経の宿所の近くにいた。世間がこんなことになったからには、どうなっても仕方がないと思って然るべきであるのに、大納言はやはり命が惜しく思われたのだろうか。
子息の讃岐中将時実を呼んで、「散逸してはならない手紙を一箱、判官(源義経)に取られているらしい。これを鎌倉の源二位頼朝に見られれば、人も多く死に、自分の身も命が助かるまい。どうしたらよかろう」と尋ねると、中将は、「判官はおおよそ人情のある者だそうですし、そのうえ女房などが嘆願することを、どんな大事でも聞き捨てにはしないと伺っています。何のさしつかえがありましょう。姫君(娘)たちが大勢おられますから、そのうちの一人を義経の妻になさって、親しくなられて後、手紙のことをおっしゃったらよろしいでしょう」と答えた。
大納言は涙をはらはらと流して、「自分が世に栄えていた時は、娘たちを女御や后にと思っていた。並の人の妻にしようとは、全く思っていなかったのに」といって泣いたので、中将は、「今はそんなことを、決してお望みになってはなりません」といって、「今の北の方の姫君で、齢18になられる方を判官に見せては」と行ったが、大納言はそれをやはり悲しいことに思い、先の妻の姫君で齢23になる方を、判官に嫁がせた。
この方も少し年をとっていたが、容姿が美しく、気だてもすぐれて優しかったため、判官は断りづらく思い、元からの妻である河越太郎重頼の娘もいたけれども、この姫は別の屋敷を立派にしつらえて寵愛した。
それで女房(時忠娘)が例の手紙のことを言い出したところ、判官は返さないどころか、手紙の封もとかず、さっそく時忠の所へ送った。大納言はたいそう喜んで、すぐに焼き捨てた。どんな手紙類だったのだろうか、中身が気になる、と世間では噂になった。
平家が滅びて、早くも国々の戦乱は鎮まり、人の往来にも心配がない。都も平穏だったので、「まったく九郎判官ほどの人はいない。鎌倉の源二位頼朝は何事をしでかしたというのか。天下は判官の思うままになってほしいものだ」などといっていることを、源二位が漏れ聞いて、「これは一体どういうことだ。頼朝がうまく取り計らって、軍兵を上京させたからこそ、平家は容易に滅びたのだ。九郎だけで、どうして世を鎮めることができよう。人がこういうのを聞いて驕り、早くも天下を自分の思いのままにしようというのだな。人は多いのに、九郎がよりによって平大納言時忠の婿になって、大納言を優遇しているというのも、承服できない。また世間にも遠慮せず、大納言が娘の婿取りをするのも、道理が通らない。九郎が鎌倉に下っても、きっと過分なふるまいをすることだろう」と言った。
挿絵:黒嵜
文章:くさぶき
平家物語「平大納言文の沙汰」登場人物紹介
<平時忠>
二位殿(平時子)の弟。
<平時実>
時忠の息子。