捕虜となった平重衡は、千手前や狩野介と朗詠や楽曲など、優美な夜を過ごす。
その夕方、雨が少し降って何事につけ物寂しく感じられる頃、件の女房が琵琶と琴を持たせてやってきた。狩野介宗茂は酒を勧めた。自分も家子や郎党を十人余り引き連れてやってきて、平重衡の御前近くに控えていた。
千手前が酌を取る。三位中将平重衡はそれを少し受けたが、面白くなさげな様子でいらっしゃるのを見て、狩野介はこう申し上げた。
「すでにお聞き及びかもしれませんが、鎌倉殿は『しっかりと心を配ってよくよくお慰め参らせるように。それを怠って頼朝を恨むでないぞ』と仰せられました。私、宗茂はもとは伊豆国の者ですので、鎌倉では旅の身ではございますが、心の及ぶ限りご奉仕つかまつります。
一曲、何事でも歌など歌って、お酒をお勧めなさい」
狩野介がこう言ったので、千手前は酌を置いて、
「羅綺の重衣たる、情ない事を機婦に妬む」
という朗詠を一、二編歌った。
「この朗詠をした人を北野天満宮の天神は一日に三度空を駆けて守ろうと誓われた。しかし、この重衡は今世では捨てられてしまった。助音しても何の甲斐があろうか。罪障が軽くなるということならば助音もしよう」
三位中将がそう仰ると、千手前はすぐに
「十悪といえども引摂す」
という朗詠をして、極楽往生を願う人は皆、阿弥陀の御名を唱えるべしという今様を、四、五回歌うと、そのとき重衡は盃を傾けた。
千手前が酒をたまわって、狩野介にさす。狩野介が飲む間、彼女は琴を弾いていた。
「この楽は普通は五常楽というのだけれど、私のためには後生楽だと思うべきだ。すぐに往生(おうじょう)の急という曲を弾こう」
重衡は戯れにそう言って、琵琶を手に取り転手をねじって調弦をし、皇麞(おうじょう)の急という曲を弾いた。
夜はしだいに更けて、何事につけ心が澄んでゆくままに、
「ああ思わなかった。東国にもこれほど優美な人がいらっしゃったのか。何でもいいのであと一曲」
と仰るので、千手前はまた、
「一樹の陰に宿り合い、同じ流れを結ぶもみな是先世のちぎり」
という白拍子を非常に趣深く歌ったので、中将も
「灯闇うしては数行虞氏が涙」
という朗詠をなさった。
この朗詠の意味は、昔の中国で漢の高祖と楚の項羽が天下を争って合戦をすること七十二度、戦いのごとに項羽は勝った。しかし最後に項羽が敗れて滅びようというときに、一日に千里を駆ける騅という馬に乗り、虞氏という后とともに逃げようとするが、馬は何を思ったのか、足を揃えて動かない。項羽は涙を流し、
「私の威勢はすでに廃れてしまった。今は逃れようもない。敵が襲ってくることは大したことではないが、この后と別れることのなんと悲しいことか」
と一晩中嘆き悲しんだ。灯の火が暗くなってきたので、心細くて虞氏は涙を流す。夜が更けるにつれて軍兵が四面を取り囲んで鬨の声を上げる。
この光景を参議橘広相が詩に詠んだのを三位中将は思い出されたのだろうか。とても優美に聞こえた。
そうしているうちに夜も明けたので、武士達は暇を乞うて退出した。千手前も帰った。
その朝、兵衛佐頼朝がちょうど持仏堂で法華経を読んでおられたところに千手前がやって来た。
佐殿は笑い、千手に
「昨夜は私が重衡殿とおまえの仲をうまく取り持ったようだ」
と言ったので、斎院次官親能はちょうど御前で書き物をしていたのだが、
「何事があったのでしょう」
と言った。
「あの平家の人々は戦のこと以外は何もないのだと日頃は思っていたけれど、この三位中将の琵琶の撥音や歌声は、一晩立ち聞きしていたが実に優美な人でおられたよ」
親能が申し上げることには、
「誰もが昨夜お聞きするべきでしたが、ちょうど体調を崩していてお聞きしませんでした。こののちは常に立ち聞きをしたいと思います。
平家はもとより代々の歌人や才人達でございます。先年平家の方々を花にたとえたとき、この三位中将は牡丹の花にたとえられたそうです」
そう申し上げると、
「まことに優美な人であったよ」
と言って、琵琶の撥音や朗詠の様子など、後世にも滅多にないことのように仰った。
千手前はこのことが物思いの種になってしまったのであろうか。
そのため、中将が奈良に連れて行かれて斬られたと聞いたら、すぐに髪を下ろして尼になり、濃い墨染の衣に身を包んで信濃国善光寺で勤行して彼の菩提を弔い、自らもついに極楽往生の本懐を遂げたとのことであった。
挿絵:雷万郎
文章:水月
平家物語「千手前(後)」登場人物紹介
〈千手前〉
駿河国手越長者の娘。
平重衡の無聊を慰めるために遣わされる。
〈平重衡〉
平清盛の四男。三位中将。源氏方の捕虜となる。
〈狩野宗茂〉
源頼朝に仕える武士。捕虜となった重衡の世話をする。