孝徳天皇のもとに白雉が献上された。
法師や僧達は皆めでたいことだと言い、元号を白雉と改めた。


白雉元年1月1日、孝徳天皇は御車で味経宮にお越しになり、拝賀の礼を行われた。
この日に御車は宮に帰られた。
2月9日、長門国司草壁連醜経が白雉をたてまつって、
「国造首の一族の贄が、1月9日に麻山で手に入れました。」
と言った。

これを百済君豊璋に尋ねられた。百済君は
「後漢の明帝の永平11年に、白雉があちこちに見られたと申します。」
云々と言った。
また法師達に問われた。法師達は答えて、
「まだ耳にせぬことで、目にも見ません。天下に罪を許して、民の心を喜ばせられたら良いでしょう。」
と言った。
道登法師が言うには、
「昔、高麗の国で寺を造ろうとして、建てるべき地をくまなく探しましたところ、白鹿がゆっくり歩いているところがあって、そこに伽藍を造って、白鹿薗寺と名付けて仏法を守ったと言います。
また、白雀が、ある寺領で見つかり、国人はみな『大きな吉祥だなぁ』と言いました。
また、大唐に遣わされた使者が、死んだ三本足のカラスを持ち帰った時も、国人はまた『めでたいしるしだ』と申しました。これらは些細なものですが、それでも祥瑞と言われました。まして白雉とあればおめでたいことです。」
僧旻も、
「これは休祥といって珍しいものです。私の聞きますところ、王者の徳が四方に行き渡るときに、白雉が現れるということです。また、王者の祭祀が正しく行われ、宴会、衣類等に節度のあるときに現れる、と。
また、王者の行いが静かな時は、山に白雉が出て、また王者が仁政を行っておられる時に現れる、と申します。周の成王の時に越裳氏が来て白雉を奉って、『国老人の言うのを聞くと、長らく大風淫雨も無く、海の波も荒れず3年になります。これは思うに聖人が国の中におられるからでしょう。何故、行って拝朝しないのだ、とのことでした。それで3カ国の通訳を重ねてはるばるやって来ました』と言ったということです。
また晋の武帝の咸寧元年に、松滋県でも見られたことです。正しく吉祥でありますので、天下に罪を許されるが良いでしょう。」
と言った。
それで白雉を園に放たれた。
15日に朝廷では元日の儀式のように、儀仗兵が威儀を整えた。左右大臣、百官の人々が四列に御門の外に並んだ。粟田臣飯虫ら4人に雉の輿を担がせ、先払いをして進み、左右大臣、百官及び百済の豊璋、その弟塞城と忠勝、高麗の侍医毛治、新羅の侍学士などがこれに従って中庭に進んだ。
三国公麻呂・猪名公高見・三輪君甕穂・紀臣乎麻呂岐太の4人が、代わって雉の輿をとり御殿の前に進み、そこで左右大臣が輿の前をかき、伊勢王・三国公麻呂・倉臣小屎が輿の後をかき、御座の前に置いた。天皇は皇太子を召され、共に雉を手に取ってご覧になった。皇太子は退いて再拝された。巨勢大臣に賀詞を奉らせて、
「公卿百官の者どもが賀詞を奉ります。陛下が徳をもって、平らかに天下を治められますので、ここに白雉が西の方から現れました。何卒陛下は千秋万歳にいたるまで、四方の大八島をお治めください。公卿・百官・あらゆる百姓も忠誠を尽くして勤めお仕えいたします。」
と述べ奉り、終わって再拝した。
すると天皇は詔されて、
「聖王が世に出でて天下を治めるときに、天が応えてめでたいしるしを示すという。昔、西の国の君・周の成王の世と、漢の明帝の時に白雉が現れた。わが国では応神天皇の世に、白いカラスが宮殿に巣をつくり、仁徳天皇の時に竜馬が西に現れた。
このように古くから今に至るまで、祥瑞が現れて有徳の君に応えることは、その例が多い。いわゆる鳳凰・麒麟・白雉・白烏、こうして鳥獣から草木に至るまで、めでたいしるしとして現れるのは、皆天地の生むところのものである。英明の君がこのような祥瑞を受けられるのはもっともであるが、不肖の自分がどうしてこれを受けるに値しようか。思うにこれは専ら、自分を助けてくれる公卿・臣・連・伴造・国造らが、それぞれの誠を尽くして、制度を遵奉してくれるからである。故に公卿より百官に至るまで、清く明らかな心をもって、神祇を敬い、皆でこの吉祥を受けて、天下をいよいよ栄えさせて欲しい」
と言われた。
また詔して、
「四方の諸の国・郡などを、天が委ね授けられるので、自分がまとめ天下を統治している。今我が祖先の神のお治めになる長門国からめでたいしるしがあった。それ故に天下に大赦を行い、白雉元年と改元する。」
と言われた。
よって鷹を長門の地方に放って生きものを捕らえることを禁じ、公卿大夫以下史に至るまで、位に応じて下賜品を頂いた。
国司草壁連醜経を褒めて、大山の位を授け、また多くの禄を賜った。また長門国に3年の調役を免除された。
夏4月、新羅が使いを遣わして調を奉った。
冬10月、宮の地に編入されるために、墓を壊された人、及び住居を遷された人々に、それぞれに応じた御下賜があった。
将作大匠荒田井直比羅夫を遣わして、宮地の境界標を立てさせた。
この月、丈六の繡仏・脇侍・八部衆などの36体の像を造りにかかった。
この年、漢山口直大口は詔を承って、千仏の像を刻んだ。倭漢直県・白髪部連鐙・難波吉士胡座を安芸国に遣わして、百済船2隻を造らせられた。


挿絵:茶蕗
文章:やっち


日本書紀「孝徳天皇(5)」登場人物紹介

<草壁醜経(くさかべのしこぶ)>
長門国(現在の山口県付近)の国司。白雉を孝徳天皇に献上した。