中大兄と鎌足が蘇我本宗家を倒し、藤原氏隆盛の基礎を作る。


皇極天皇(6)
 今は昔、皇極天皇という女帝の御代、御子の天智天皇はまだ皇太子だった。当時、蘇我蝦夷という大臣がいた。蘇我馬子大臣の子である。蝦夷は長年朝廷に仕えていたが、老耄のため、殊に参内することもなくなった。そこで、子の入鹿を自分の代りに常に参内させて政務を取りしきっていた。
 このため、入鹿は政権を欲しいままにし、天下を自分の思いのままに動かしていた。
 ある時、皇太子だった天智天皇が蹴鞠をしているところへ入鹿もやってきて、その蹴鞠に加わった。当時、大織冠(藤原鎌足)はまだ公卿などにもなっておらず、大中臣鎌子という名前だったが、鎌子もこの場所に来て共に蹴鞠をしていた。
 ところが、皇太子が鞠を蹴った沓が足から脱げて飛んでいってしまった。入鹿は尊大な心から、皇太子のことをなんとも思わず嘲り、その沓を外のほうに蹴飛ばしてしまった。皇太子はこれに困惑し、顔を赤らめて立っていたが、入鹿はそのまま平然とした顔つきで立っていた。大織冠は心の定まらぬままその沓を拾ったが、大織冠にしてみれば、「格別まちがったことをした」とは思わなかった。
 皇太子は、「入鹿があのような無礼なことをしたのに、鎌子が沓をすぐに取ってきて履かせたのは、ありがたくうれしいことだ。この男は私に心を寄せていたのか」と気づき、それからは折に触れて親しい者と思っていた。大織冠のほうでも皇太子を見込んだのか、皇太子へ殊更に仕えた。入鹿は傲慢のあまり、その後、天皇の仰せですらややもすれば引き受けず、また、仰せられていないことを執り行ったため、皇太子は心中ますます不届きだと思うことが募っていった。

 ある時、皇太子は人のいない場所へひそかに大織冠を招き寄せ、「入鹿は常日ごろ私に対して無礼を働く。けしからぬことだが、天皇に対してもややもすれば違勅の行為に及んでいる。それゆえ、この入鹿がこのまま世にいたのではよき事もあるまい。私は入鹿を殺そうと思っている」と言った。大織冠は、自分でもつねに「困ったことだ」と思っていたところ、皇太子がこのように言っていたので、「わたくしもそのように思っていた次第でございます。ご命令があればなんとか策を講じてみましょう」と応えた。すると、皇太子は喜んで、その計画を十分に打ち合せた。
 その後、大極殿において節会が行われる日、皇太子が大織冠に、「入鹿を今日こそ討つべきである」と言った。大織冠はそれを承り、はかりごとを構え、入鹿の佩いている太刀を解き外させた。
 さて、入鹿が天皇の御前にゆったりと立っている時、ある皇子が上表文を読んだ。この上表文を読んでいる皇子は、「今日このような大事件が起こる」と前もって知っていたのであろうか。おじけづいた様子で震えていたので、入鹿は、そんな事件が起こるとは知らず、「なぜそのように震えていらっしゃるのか」と尋ねると、上表文を読む皇子は、「天皇の御前に出たので、気おくれして、自然に震えだすのです」と答えた。
 その時、大織冠は自ら太刀を抜いて走り寄り、入鹿の肩に切りつけた。入鹿は走って逃げようとするのを、皇太子が太刀を取って入鹿の首を打ち落とした。

すると、その首は飛び上がって高御座のもとへ行き、「わたくしにはなんの罪もありません。何事によって殺されるのですか」と奏上した。天皇はこの企てを前もって知らなかったうえに、女帝であったため、これを恐れて高御座の戸を閉じたため、首は戸に当って下に落ちた。
 それを見た入鹿の従者は家に走り帰り、父の蝦夷大臣に報告した。大臣はこれを聞き、驚くとともに泣き悲しみ、「もはやこの世に生きていてもしかたがない」と言って、自ら家に火をかけ、家もろとも焼死した。思いのままに取り置いていた多くの公財もみな焼け失せた。神代以来伝わる朝家の財宝は、この時みな焼失したのである。
 その後、しばらくして天皇が崩御し、皇太子が即位した。天智天皇こそこの人である。大織冠(大中臣鎌子)を内大臣に任命し、大中臣の姓を改めて藤原とした。わが国の内大臣はこれが始めである。
 さて、天皇はひとえにこの内大臣を寵愛し、国の政務を一任し、自分の后を下賜した。この后はすでに懐妊しており、大臣の家で出産した。多武峰の定恵和尚というのがこの人である。その後、また大臣の子を産んだ。これが淡海公(藤原不比等)といわれる方である。こうして、内大臣も身を捨てて心から天皇に仕えた。
 そのうちに、大臣が病気になった。天皇は大臣の家に行幸して見舞いをしたが、大臣はとうとう亡くなった。その葬送の夜、天皇が「行幸して野辺の送りをしよう」としたが、時の大臣や公卿が、「天皇の御身で大臣の葬送に野辺の送りをなさるという先例は、いまだかつてないことでございます」と繰り返し奏上したので、天皇は泣く泣くお帰りになり、宣旨により諡号を賜った。これ以来大織冠というようになった。実名は鎌足という。
 その子孫は繁栄し、藤原氏は他氏の入り込む隙間もないほどわが国に満ち広がっている。世に大織冠と呼ばれるのはまさにこの方のことである、と語り伝えているということだ。


挿絵:雷万郎、茶蕗
文章:くさぶき


今昔物語集「巻22第1話 大織冠始賜藤原姓語 第一」登場人物紹介

<天智天皇>
中大兄皇子。第38代天皇。
<大職冠(大中臣鎌子)>
中臣鎌足。
<蘇我入鹿>
蘇我蝦夷の子。