舒明天皇の治世の後半、彗星の出現や異常気象など天変地異が相次いだ。


舒明天皇(5)

 舒明天皇六年の秋八月に、長い星が南方に見えた。時の人はそれを箒星と呼んだ。
 七年の春三月には箒星は廻って東の空に見えた。
 夏六月の乙丑の朔にして甲戌(十日)に、百済は達律(たちそち)という位にある柔(ぬ)らを遣わして朝貢した。
 秋七月の乙未の朔にして辛丑(七日)に、百済からの客を朝廷で饗応した。
 この月にめでたい蓮が剣池に生えた。一つの茎に二つの花が咲いたものである。
 八年の春正月の壬申の朔(一日)に日蝕があった。
 三月に、采女と密通したものを悉く取り調べて皆断罪した。このときに三輪君小鷦鷯はその取り調べを苦にして首を刺して死んだ。
 夏五月には長雨が降り、洪水が起きた。
 六月に岡本宮が火災に遭った。天皇は田中宮に遷った。
 秋七月の己丑の朔(一日)に、大派王(おおまたのおおきみ)は豊浦大臣こと蘇我蝦夷に「群卿と百寮は朝参をすっかり怠っている。今後、午前五時に参内して午前九時に退出するようにしよう。そして鐘でそれを知らせることを規則とせよ」と言った。しかし、大臣は従わなかった。
 この年に大きな旱魃があり、国中が飢饉となった。
 九年の春二月の丙辰の朔にして戊寅(二十三日)に、大きな星が東から西へ流れた。そのときに音が鳴り、それは雷に似ていた。時の人はそれを流星の音だと言った。また、地の雷だ、とも言った。このとき、僧の旻法師は「流星ではない。これはアマツキツネだ。その吠える声が雷に似ているだけなのだ」と言った。
 三月の乙酉の朔にして丙戌(二日)に日蝕があった。
 この年、北方の蝦夷が背いて朝貢してこなかった。そこで、大仁の位にある上毛野君形名(かみつけののきみかたな)を将軍に任じ、討伐に向かわせた。しかし、逆に蝦夷に敗北して砦に逃げ込み、ついに賊に囲まれてしまった。兵士達は皆逃げ出して城は空になり、将軍は迷ってどうしようもなかった。時に日が暮れ、垣根を越えて逃げようとする。ここで、形名の妻は嘆いて言った。
「嘆かわしい。蝦夷などのために殺されようとは」
 そして夫に語ったことには、
「あなたの先祖は蒼い海原を渡り、万里を越え、外つ国を平らげ、その武威を以て後世に名を残しました。今あなたが先祖の名を汚せば、きっと後世の人々に嗤われましょう」
 そう言って、酒を酌んで強引に夫に飲ませ、自ら夫の剣を佩き、十の弓を張り、女人数十人に命令して弦を鳴らさせた。そこで夫である形名は再奮起し、武器を取って進軍した。蝦夷は朝廷の兵力は依然として多いのだろうと思い込んで次第に退いていった。逃散していた兵士達も再度集まり、軍備が再び整った。こうして蝦夷に大勝し、その悉くを捕虜にした。
 十年の秋七月の丁未の朔にして乙丑(十九日)に暴風が吹いて木を折り、家屋を壊した。
 九月に長雨が降り、桃や李が咲いた。
 冬十月に、天皇は有馬温泉に行幸した。
 この年に、百済・新羅・任那の三国が揃って朝貢した。
 十一年の春正月の乙巳の朔にして壬子(八日)に天皇は有馬温泉より帰還した。
 乙卯(十一日)に新嘗祭を行った。おそらく有馬温泉に行っていたので新嘗祭を執り行うことができなかったからであろうか。
 丙辰(十二日)に雲がないのに雷が鳴った。
 丙寅(二十二日)に暴風が吹いて大雨が降った。
 己巳(二十五日)に長い星が北西に見えた。ときに旻法師は「彗星である。これが見えると飢饉が起こる」と言った。
 秋七月に天皇は「今年、宮殿と大寺院を造ろうと思う。そして百済川のほとりをその場所とする」と詔した。これを以て西国の民は宮殿を造り、東国の民は寺を造った。そして書直県(ふみのあたいあがた)をその責任者とした。
 秋九月に唐へ留学していた学問僧恵隠・恵雲が新羅の使者に従って都へ入った。
 冬十一月の庚子の朔(一日)に新羅の客を朝廷で饗応した。そして冠位一級を授けた。
 十二月の己巳の朔にして壬午(十四日)に天皇は伊予の湯に行幸した。
 この月に百済川のほとりに九重の塔が建った。
 十二年の春二月の戊辰の朔にして甲戌(七日)に星が月に入った。
 夏四月の丁卯の朔にして壬午(十六日)に天皇は伊予から帰還し、厩坂宮に滞在された。
 五月の丁酉の朔にして辛丑(五日)に大掛かりな潔斎をした。そして恵隠法師を招いて無量寿経を説かせた。
 冬十月の乙丑の朔にして乙亥(十一日)に唐へ留学していた学問僧清安と学生の高向玄理が新羅を経由して帰国した。このとき、百済と新羅の朝貢の使者も共に来た。彼らには各々爵一級を授けた。
 この月に天皇は百済宮へ遷った。
 十三年の冬十月の己丑の朔にして丁酉(九日)に、天皇は百済宮で崩御した。
 丙午(十八日)に、宮殿の北で殯を行った。これを百済の大殯と申し上げる。このときに東宮の開別皇子(ひらかすわけのみこ)が御歳十六にして誄(しのびごと)を奉った。


挿絵:あんこ
文章:水月


日本書紀「舒明天皇(5)」登場人物紹介

<舒明天皇>
第34代天皇。
<大派王>
敏達天皇の皇子。
<蘇我蝦夷>
大臣。別名:豊浦大臣
<旻>
学問僧。608年に隋へ渡り、632年に帰国した。
<開別皇子>
舒明天皇の皇子。後の天智天皇。