日に日に容態が悪化する清盛に、二位殿はこの世に思い残したことは無いか尋ねる。栄華を極めた清盛であったがとうとう病に悶え苦しみ亡くなってしまう。


同じく治承5年閏2月2日、二位殿は熱さに耐え難かったが、入道相国の枕元に寄り添い、泣く泣く仰った。
「ご様子を見申しますと、日増しに回復の望みが少なくなっているようにお見受けします。
この世に思い置かれている事がございましたら、少しでも物がお分かりになるうちに仰ってください」
入道相国はあれほど日頃ご立派でおられたが、大変苦しそうに息も絶えそうになりながら
「私は保元、平治よりこのかた、度々朝敵を平定し、恩賞は身に余り、
恐れ多くも帝の祖父、太政大臣の地位に至り、その栄華は子孫にも及んでいる。
この世の望みは、一つも残るところがない。
ただ、思い残す事としては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝の首を見ていないことが無念である。
私が死んだ後は、仏堂、仏塔を建てて供養をしてはならない。
すぐに兵を遣わし、頼朝の首をはねて私の墓の前に掛けよ。それが供養であろう」
と仰ったことは罪深いことであった。
同4日、病に侵され、せめてもの事にと板に水を流しそこに寝転ばれたが、
助かる心地もなさらず悶え苦しみ転げまわり、
とうとう跳ねるように悶え苦しんで死になさった。
馬や牛車が行き違う音は天にも響き大地をも揺らぐ程で、
天皇がどのようになられたとしても、これ以上の事にはならないだろう。
入道相国は今年で64歳。老衰というべきではないが、宿命がたちまち尽きてしまわれたので、
加持祈祷の効果もなく、神仏の威光も消え、天上界の神々もお守りにならなかった。
ましてや凡人の考えではなおのことどうにもならない。
命にかえ、身代わりになろうと、忠義のある数万の軍勢は御殿の上下に居並んでいたが、
目に見えず力でもどうしようもない無常の殺鬼を、少しの間も戦い追い返すことができなかった。
戻ってこられない死出の山、三途の川、冥途の旅の空にただ御一人で赴かれたのだろう。

日頃作り置かれた罪業ばかりが、獄卒となって迎えに来たのだろう。
憐れなことであった。
そのままでいるわけにもいかないので、同7日、愛宕で火葬にし奉り、
骨を円実法眼が首に掛けて摂津国へ下り、経ヶ島に納めた。
あれほど日本中に名をあげ、権威を振るった人であっても、身は一時の煙となって都の空に立ち上り、
屍はしばらくはとどまったが、浜の砂に混じり、むなしい土となってしまった。


挿絵:あんこ
文章:やっち


平家物語「入道死去(後編)」登場人物紹介

<入道相国>
平清盛。伊勢平氏の棟梁平忠盛の子。安徳天皇の祖父。
<二位殿>
平時子。入道相国、清盛の妻。