蘇我馬子は法興寺建造に着手し、善信尼を百済へ派遣する。崇峻天皇は任那の復興に乗り出すが、馬子への恨みを募らせたため、東漢駒によって殺される。


崇峻天皇元年(588年)
この年、百済国は使いとして僧・恵総、令斤、恵寔らを日本に派遣し、佛舎利を献上した。百済国はまた、恩率(三品官)・首信、徳率(四品官)・蓋文、那率(六品官)・福富味身らを派遣して、調を進上し、あわせて、佛舎利、僧聆照律師、令威、恵衆、恵宿、道厳、令開ら、寺工太良未太、文賈古子、鑪盤博士(仏塔の鋳造技術者)将徳(七品官)・白昧淳、瓦博士麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝彌、画工白加を献じた。
蘇我馬子宿禰は、百済の僧たちを屋敷へまねいて受戒の法について尋ねた。馬子は善信尼たちを百済の使いである恩率・首信たちに頼み委ねて、学問のために百済へ派遣した。
馬子はまた、飛鳥衣縫造の祖である飛鳥衣縫樹葉の邸宅を壊して、法興寺の創建に着手した。この地を飛鳥の真神原と名付け、また飛鳥の苫田と名付けた。
この年の太歳(木星の鏡像としてつくられた仮想の星であり、暦法による。太歳紀年法により十支を確定することによれば、崇峻天皇元年こと西暦588年)は戊申である。
崇峻天皇二年<己酉>(589年)秋七月壬辰朔。
近江臣満を東山道へ遣わし、蝦夷国の境を視察させた。
また、宍人臣雁を東海道へ遣わし、東方の海沿いの諸国の境を視察させた。
また、阿倍臣を北陸道へ遣わし、越の諸国(福井県敦賀市~山形県庄内地方の一部)を視察させた。
崇峻天皇三年<庚戌>(590年)春三月、学問尼善信たちが、百済から帰国し、桜井寺に住まうことになった。
冬十月、山に入って法興寺に使う木材を取った。
この年、善信尼により出家した尼は、大伴狭手彦連の娘・善徳、大伴狛の夫人、新羅の媛善妙、百済の媛妙光、また漢人の善聡、善通、妙徳、法定、照善、智聡、善智恵、善光らである。また、鞍部の司馬達等の子・多須奈も同時に出家した。名付けて徳斎法師という。
崇峻天皇四年<辛亥>(591年)夏四月壬子朔甲子(十三日)、訳語田(敏達)天皇を磯長陵(大阪府河内郡太子町)へ葬る。これはその母である欽明皇后石姫の葬られる所と同じ御陵である。
秋八月庚戌朔(一日)、天皇は群臣たちに詔した。
「朕は任那を復興したいと思っている。卿らはどうか?」
群臣たちは奏上して言った。
「任那の官家(日本府)を復興するべきです。皆、陛下の仰ることに同じ思いです」
※欽明天皇23年(562年)に任那日本府(加耶十国・百済との対外交渉・合議機関か)が新羅によって滅ぼされているため、その復興の議論である。
冬十月己卯朔壬午(四日)、紀男麻呂宿禰、巨勢猿臣、大伴噛連、葛城烏奈良臣を大将軍に任命し、諸豪族の臣・連を副将軍、部隊をつくり、二万あまりの軍を率いて筑紫に赴いた。
吉士金を新羅に遣わし、吉士木蓮を任那に遣わして、任那の現状などを尋ねた。
崇峻天皇五年<壬子>(592年)冬十月癸酉朔丙子(四日)、山猪を献上するものがいた。天皇は猪を指差して、
「いつの日にか、この猪の頸を切るがごとく、朕が憎らしく思う者の頸を切りたいものだ」
と言い、多く兵士を集め始めたが、常になく異様なことであった。
壬午(十日)、蘇我馬子宿禰は、天皇の詔したことを聞いて、「憎く思う者というのは、私のことを言っているのだ」と恐れた。そこで兵士をかき集め、天皇を弑そうと謀った。
この月、大法興寺の仏堂と歩廊を起工した。

十一月癸卯朔乙巳(三日)、蘇我馬子宿禰は群臣を、
「今日は東国の調を進上しよう」
と欺いて呼び集めた。
そしてその目の前で、東漢直駒を使い、天皇を殺害したのである。(東漢直駒は、東漢直磐井の子であるという説もある。)
この日、天皇を倉梯岡陵に葬った。(大伴嬪小手子が天皇からの寵愛が衰えたことを恨んで、馬子の元に使者を送り、「この頃猪の献上があったが、陛下が猪を指差して『猪の頸を切るように、いつか朕もいま考えている者を切りたいものだ』と内裏にたくさんの兵士を集めているぞ」と伝えたところ、馬子は大いに驚いたという説もある。)
丁未(五日)、馬子は駅使(駅馬の使用を認められた公的な使者)を筑紫に駐屯している任那復興軍の将軍の元へ遣わして、
「朝廷で内乱が起きたからといって、それに気をとられて任那官家復興のための備えを怠ってはならぬ」
と伝えた。
この月、東漢直駒は蘇我馬子の娘であり崇峻天皇の嬪である河上娘を略奪し邸宅に隠し、妻としてしまった。
蘇我馬子宿禰は、河上娘を東漢直駒が奪ったと知らないまま、娘は姿も見えず夫も死んだので自分に知れず死んだのだろうと思っていたが、駒が河上娘を妻にして穢してしまったことがあきらかになると、駒は馬子によって殺された。


挿絵:時雨七名
文章:708(ナオヤ)


日本書紀「崇峻天皇(3)」登場人物紹介

<崇峻天皇>
第32第天皇。馬子の権力増大に嫉妬する。
<蘇我馬子>
仏教の積極的導入のため、善信尼を百済へ留学させ、法興寺を建造する。
<善信尼>
司馬達等の娘か。留学から帰国ののちは桜井寺に住み、後進の得度を行う。
<東漢直駒>
坂上系図によれば坂上氏の祖とも。馬子の命令で崇峻天皇を暗殺するも、馬子の娘・河上娘を誘拐し無理矢理妻にしてしまう。