伊豆に流された文覚は、頼朝に挙兵を進言する。
勧進帳〜文覚被流
荒れ果てた神護寺の復興を思い立った文覚は、寄付を募るための文章(勧進帳)を手に諸国を回る。ある日文覚は、後白河天皇の御所に寄付を求めて訪れるが、法皇は管弦の宴をしていたため門前払いにされる。これに怒った文覚は御所に押し入り、大声で勧進帳を読み上げた。
「神護寺に寄付していただくまではここを動かぬ」と刀を抜いて身構える文覚。安藤武者たちとの乱闘の末、投獄される。間もなく都で恩赦があり釈放されるが、不穏な言動で寄付を募ったため、ついに伊豆へ流されることとなった。
福原院宣
文覚は、近藤四郎国高という者に身柄を預けられ、伊豆国の奈古屋の奥に住んだ。そのうちに兵衛佐(源頼朝)のもとへ通って、昔や今の話などをで気晴しをしていた。ある時、文覚はこう切り出す。
「平家の中では小松内大臣殿(重盛)が剛勇で智略にも優れておりましたが、平家の命運が尽きたのか、去年の8月お亡くなりになりました。いま源平両氏の中で、あなたほど将軍にふさわしい相をもった人はおりません。早々に謀反を起こして、この国を征服いただきたい」
それを聞いた頼朝は、「思いもよらぬことを言う坊様だ。私は亡き池の尼御前に、つまらない命をお助けいただいた。池の尼御前の後世を弔うために毎日法華経をひととおり転読する以外、他の事は考えていない」と返した。
文覚が重ねて言う。
「天が与えるものを受け取らねば、かえってその咎めを受ける。好機があっても実行しなければ、かえってその災いを受ける、という金言があります。こんなことを申して、あなたの心を試そうとしているとお思いですか。私があなたに深く心を寄せている証拠を御覧ください」といって、懐から白い布で包んだ髑髏を一つ取り出した。
頼朝が、それはなにかと尋ねると、「これこそ、あなたの父上、故左馬頭殿(源義朝)の首です。平治の乱の後、獄舎前の苔の下に埋もれて、後世を弔う人もおりませんでした。この文覚は思うところあって、牢番人に頼んで貰いうけ、この十余年、首にかけて山々寺々を参拝して歩き、弔い申し上げました。いまは長年の苦しみから救われたことでしょう。故に文覚は、亡き左馬頭殿の御為にも奉公する者であります」と答えた。
頼朝は、文覚の言葉が定かであるとは思えなかったが、父の首と聞いて懐かしさに、まず涙を流した。
「そもそも、頼朝の勅勘が赦されずして、どうして謀反など起こせよう」
「なに簡単なこと。すぐに上京して、赦しを請うて参りましょう」
「とんでもない。御坊も勅勘を受けた身。他人の赦免を願うなど、そのような取り計らい、全く信じられない」
「我が身の勅勘を赦されようと申すのであれば道理に合わないだろうが、あなたの事を申すことはなんの問題があろう。いまの都、福原の新都へ上るなら、3日以上はかかるまい。院宣をうかがうために、1日は逗留するだろう。都合7、8日以上にはならないはずだ」
文覚はそう言うと、飛び出していった。
奈古屋に帰った文覚は、弟子どもに「伊豆の御山(伊豆山権現)へ、内密に7日参籠するつもりだ」と言い残して発った。実際、3日目には福原の新都へ到着した。
前右兵衛督光能(藤原光能)のもとに、いささか縁があったため、そこに行って「伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝は、勅勘を赦され院宣をいただければ、坂東8か国の家人たちを召集して平家を滅し、天下を鎮めると申しております」と言った。
光能は、「さてねえ、我が身もいまは三つの官職をすべて解任され、つらい時期なのだ。法皇も押し込められておいでになるから、どうであろう。しかし、お伺いしてみよう」といって、このことをひそかに奏上したところ、法皇はただちに院宣を下した。文覚はこれを首にかけ、また三日かけて伊豆国へ下り着いた。
頼朝は、「ああ、この坊様は、なまじつまらぬことを言い出して、頼朝はまたどんな辛い目にあうことだろうか」と、あれこれと思い悩んで心配しつづけていたところ、8日目の正午頃に文覚が下り着き「そら、院宣だ」といって差し上げる。頼朝は院宣と聞き、畏れ多さに口をすすぎ手をきよめ、新しい烏帽子と浄衣(白い衣)を着て、院宣を三度拝してから開いた。
『ここ数年、平氏は皇室をないがしろにし、政道もはばかるところがない。仏法を破滅して、朝廷の権威を滅ぼそうとしている。そもそもわが国は神国である。皇祖の廟たる伊勢神宮・石清水八幡宮は相並び、神徳あらたかである。それゆえ、朝廷が開かれたのち数千年の間、天皇の道を妨げ、国家を危機に陥れようとする者は、そのすべてが敗れてきた。しかればすなわち、一方では神の御加護にすがり、一方では勅宣の趣旨を守り早々に平氏の一族を誅し、朝廷の敵を退けよ。先祖代々の武家の兵略を継ぎ、先祖から仕えてきた忠勤を際立て、身を立て家を興すべきである。それゆえ、院宣は以上のとおりである。よって通達はこのとおりである。
治承四年七月十四日 前右兵衛督光能が奉り
謹上前右兵衛佐殿へ』
と書かれていた。この院宣を錦の袋に入れて、石橋山の合戦の時も、頼朝は首にかけていたという。
挿絵:ユカ
文章:くさぶき
平家物語「福原院宣」登場人物紹介
<文覚>
真言宗の僧。文覚上人、文覚聖人、高雄の聖とも呼ばれる。
<源頼朝>
源氏の棟梁。父・義朝が平治の乱で敗れたことで伊豆国へ流される。