今は昔、天智帝の頃に道照和尚という聖人がいた。ある時、道照は帝より仰せつかって中国の三蔵法師を尋ねることに…
道照和尚亙唐伝法相還来語 第四
今は昔、本朝、天智天皇の御代に、道照和尚という聖人がおいでになった。俗姓は丹氏(ふなのうじ)、河内の国の人である。幼くして出家し、元興寺の僧となった。明敏で正直な人柄である。また、悟りを求める志が高く、その尊きことは仏の如くであった。そこで、世の人は朝廷をはじめとして、身分の上下、道俗男女を問わず、頭を傾けて尊び敬うのであった。
ある時、天皇は道照を召して、
「近頃、聞けば、震旦に玄奘法師という人がいて、天竺に渡り、正教を伝えて、本国に帰り来たそうだが、その中に大乗唯識という仏教の教えがある。とりわけ彼の法師が好み習ったところである。この諸法として、『必ず識に離れず』という教理を立てて悟る道を教えた。
ところで、その教法なのだが、いまだ此の朝廷には伝来していない。そこでお前に、速やかに彼の国へ渡ってもらい、玄奘法師に会って彼の教法を習い帰ってきてほしい」
とおっしゃった。
道照は宣旨を承って震旦に渡った。玄奘法師のところに行き着き、その門に立って人を介し「日本の国より、国王の仰せを承って渡ってきた僧である」と言って入ったところ、使いの者が帰り出て、ここへ来た心を問う。道照は「国王の仰せによって、唯識の法門を習い伝えるために馳せ参じた」と言った。その時に、三蔵はこの由を聞いて、すぐに道照を呼び入れて、自ら赴き、部屋に道照を迎え入れた。顔を見合わせ談ずるに、互いに以前から知っている人のように感じられた。
その後、三蔵は唯識の法門を教えた。道照、夜は宿房に帰り、昼は三蔵のところに行って習うこと、すでに一年が経ち、その法門は瓶水を移すかの如くに習得された。祖国に帰ろうという頃に、三蔵の弟子らが師に申した。
「この国には数多くの御弟子がいます。みな、やんごとなき徳行の人です。それで大師様は全員を敬いなさることはございません。この、日本の国より来た僧に対しては座を下り敬いなさるのが理解できません。たとえ日本の僧がやんごとないとしても、小国の人です。どのようなことがありましょう。我が国の者とは比べようがありません」と。
三蔵はお答えになった。
「お前たち、速やかに彼の日本の僧の宿房に行って、夜、こっそりと彼の様子を見てこい。その後で謗りも褒めもするべきであろう」と。
その後、三蔵の御弟子2,3人、夜に道照の宿房に行って、ひっそりと伺い見るに、道照は経を読んで居た。よく見れば、口内より長さ五六尺ほどの白い光が出ていた。御弟子ら、これを見て奇異の思いを(以下、原文不明)。
「これは稀有のことだ。我が大師様の(以下、原文不明)。また、大師様は他国より来た見ず知らずの人でも、兼ねてその徳行をご存じなのは、権者であったからだ」
帰り参りて、師に「私たちは宿房へ行ってこっそりと見てきましたが、日本の僧は口から光を出していました」と申した。三蔵は「お前たちは極めて愚かだ。我が敬いを『何かあるのではないか』とも思わずに謗っていたが、知恵がないな」と宣った。御弟子らは、恥じて去った。
また、道照が震旦にいらっしゃる間に、新羅国の五百の道士の招きを得て、彼の国に至り、山上にて法華経を講じる庭、その隔ての戸の内に、我が国の人の言葉で、物を問う声がした。道照は高座の上で法をしばらく説きやめて、その声の主に「誰だ」と問う。その声は答えて曰く「私は日本の朝廷にいる、役優婆塞という者です。日本は神の心も物狂わしく、人の心も悪いので、去りました。それでも時々は行っています」と。
道照は祖国の人と聞いて、必ず顔を見たいと思って、高座より下りて声をかけたが姿はなかった。まことに口惜しき事と思いながら震旦に帰った。
道照は法を習って帰朝した後、複数いる弟子のために唯識の要義を説き聞かして教え、伝えたので、今もその法は絶えずして盛んである。また、禅院という寺を建立し、お住まいになった。
遂に臨終を迎えた際に、沐浴し、清らかな衣を着て、西に向かって端座した。その時、光が降り注ぎ、部屋中に満ちていった。道照は目を開いて、弟子に「お前たちにはこの光が見えているか、どうだ」と告げた。弟子は言う、「見えます」と。道照は言った、「これを広めるでないぞ」と。
その後、夜になり、その光は部屋を出て、寺の庭の樹を輝かせた。しばらく留まると、その光は西の方角へ飛び去った。弟子らはこれを見たのち、ひどく恐れて怖がった。その時、道照は西に向って端座したまま亡くなった。そこで人々は知った、彼の和尚が極楽に往生されたということを。
彼の禅院というのは、元興寺の東南にある。
「道照和尚は権者であったのだ」
このように語り伝えられているということだ。
<注釈>
河内:かわち。現在の大阪府東部周辺を指す。
道俗:仏道の人と俗世間の人
震旦:しんたん。古代中国の異称
唯識:
法相宗の根本協議。一切の諸法は心の本体である識が現し出したものにすぎず、識以外に存在するものはないということ。また、その識でさえも真実にあるものではない。
識:仏教用語。目識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の6種。
瓶水を移す:
瓶に湛えた水をこぼさずに移すように、師の教えを誤りなく弟子に伝えること。
権者:ごんじゃ。仏・菩薩が衆生を救うために仮の姿で現れること。
挿絵:708(ナオヤ)
文章:松(まつ)
今昔物語集「道昭和尚亘唐伝法相環来語」登場人物紹介
<道照和尚>
道照(どうしょう)。飛鳥時代の法相宗の僧。白雉4年(653)、唐に渡る。
<天智天皇>
第38代天皇。舒明天皇の子で、母は皇極天皇。名は葛城皇子。
<玄奘(げんじょう)>
唐の僧であり、また訳経家。法相宗の開祖。三蔵法師として知られる。
<役優婆塞>
読みは「えんのうばそく」。役小角(えんのおづぬ)のこと。
奈良時代の山岳呪術者。修験道の祖。