逆賊が退き明けて春、新都志賀にて功臣達の論功行賞が行われる。


志賀の大内山の場
 逆徒凶賊は直ちに退き、年が暮れ、新年の春の空。
 都を近江国志賀に遷し、今は穏やかな内裏。主上はその御心も安らかに、奥深い玉すだれの内に坐している。
 中央の座には中臣の御大臣鎌足卿、同じく淡海、義士の面々、そして玄上太郎利綱がその一子三作と共に清涼殿に居並んでいた。鎌足の大臣にはこの度の褒美として国を治めよとの御沙汰があり、入鹿の妹である橘姫は実の兄にかえて忠義の貞節があったことにより、豊代姫と名を改め淡海の妻になるようにとの勅諚があった。
 また、大判事清澄は、しばらく敵の臣下となり働いて智謀を巡らせた労は言葉に尽くしがたい、今後は武官の長として三作を養子とし、志賀之助清次と名乗るが良い、とのことである。
 このほかにも太宰の後室こと定高や金輪五郎をはじめとして各々大禄を賜って、主上をはじめ皆は大いに勇み立った。
 そうしているところへ金輪五郎が賊の残党を捕らえ凱歌を歌いながら入ってきた。
 今は故人となった久我之助清舟と雛鳥の追善のために妹山と背山は妹背山と変わったけれども、いつまでも変わらぬ志賀の山桜のごとく、その花の塚には今も供養が絶えない。
 誉れは世界の隅々まで香り高く匂い立ち、折良く川にさざ波を立てる春の風のよう。幣を持って払う神国の富は豊かで市中には屋敷が所狭しと建ち並び、月の光があちこちの松を明るく照らしている。
 二月の春の夕べは暖かく、坂東から南海道にいたるまで穀物が実り、民は善良で平穏で、秋は米、夏には麦が実り、魚は水に浮かび鱗を見せた。
 どこまでも続く街道沿いの松は、この未熟な即興の作文のように青々と。
 伊勢、そして春日に八幡、三柱の神の恵みはいついつまでも変わらず、打てば外さぬ陣太鼓の音は幾久しく御代の栄えんことを言祝いでいた。


挿絵:あんこ
文章:水月


妹背山婦女庭訓「志賀の大内山の場」登場人物紹介

<中臣鎌足>
天智天皇の忠臣。策をめぐらし、逆賊蘇我入鹿を討った。
<淡海>
鎌足の息子。父と協力し奔走して入鹿を討った。
<橘姫>
入鹿の妹ながら淡海に協力し、彼を助けた。
<玄上太郎利綱・金輪五郎今国>
鎌足の家臣。入鹿を討つために活躍した。
<久我之助清舟・雛鳥>
いがみ合う家に生まれた恋人同士。家同士の諍いや入鹿の欲望のために命を落とした。
<大判事清澄>
久我之助の父。
<定高>
雛鳥の母。
<主上>
第38代、天智天皇