中大兄皇子と中臣鎌足は藤花の下、乱れた世を正す策を話し合う。


藤下談謀
中大兄皇子が中臣鎌足の連に次のように言った。
「鞍作(入鹿)の暴逆に対して、
これをどのように対処したらよいだろうか。
どうかいい考えを述べてくれ」と。
中臣の連は、皇子を連れて城東の倉橋山の峯に登り、
藤の花のもとで乱れた世を治め正しい道に戻す方策を話した。
皇子は大いに喜んで
「あなたは私の子房だ。もし私が天位に就くことができたなら、
あなたの姓を藤原と改めよう」と言った。
そこで、その謀をした場所を談岑と言った。
後には多武の二字を用いるようになった。

*子房:古代中国で劉邦に仕えた軍師、張良の事。劉邦にとって信頼を置いていた張良が、私にとっての貴方であるということ。

婚姻作昵
中臣鎌足の連は中大兄皇子に申し上げた。
「蘇我山田石川麻呂は、その性質剛毅で、
人々の威望もまた高いものがあります。
彼の気持ちをこちらに向けることができれば、
事は必ず成就するでしょう。
そのためにまず山田臣の家と姻戚関係を結び、
その後でこちらの秘めている策略を説明いたしましょう」と。
皇子はこれに従って、女を山田臣の家から娶った。

山田従命
婚姻の儀式が終わり、中臣の連はおもむろに山田臣に告げた。
「太郎(入鹿)の暴逆ぶりは、天下のもの皆これを怨んでおります。
あなたはいかがお思いでしょうか」と。
山田臣が言った。
「私もそれを思い悩んでおりました。
敬んであなたのお言葉に従いましょう」と。

詐唱表文
中大兄は中臣の連に言った。
「臣子の道は、その意思が互いに通じている必要がある。
そのためには私の気持ちを示したい。
群公たち、どうか私に教えてくれ」と。
中臣の連が答えて言った。
「臣子の行は、惟だ忠と孝とだけでございます。
忠孝の道こそが、国を全くし、家を起こす基礎でございます。
もし皇室の血筋が絶えたり、
様々な基礎となるべき事柄が廃れ壊れてしまいましては、
不孝不忠となり、これに過ぎるものはございません」と。
中大兄が仰った。
「私の謀が成功するか否かはひとえにあなた次第だ」と。
中臣の連が言う。
「佐伯連古麻呂と葛城稚犬養連網田は、
その武勇は何者をも凌ぎ、その力は鼎(金属製の釜)を持ち上げるほど。
この大事を成し遂げられるものは、この二人しか居りません」と。
中大王はこれに従い、両名を企てに加えた。
四年六月三日戊申、
中大兄は三韓からの貢ぎ物の上奏文を読み上げると偽ったが、
当時の人々は本当のことだと思った。
そしてその一方で山田臣に、
「三韓の上奏文はあなたに読み上げてもらうつもりだ。
入鹿が退屈したのに乗じて、彼を殺そう」と。
山田臣は承知した。
かくして入鹿暗殺の策は定まった。


挿絵:望坂おくら
文章:ねぴ


「藤下談謀〜詐唱表文」登場人物

〈中大兄皇子〉
後の天智天皇。大化の改新の中心人物。
〈中臣鎌足〉
中大兄皇子の腹心。藤原氏の始祖。
〈蘇我入鹿〉
大臣として権勢を奮う人物。「鞍作臣」「蘇我太郎」とも呼ばれる。
〈蘇我山田石川麻呂〉
蘇我入鹿とは従兄弟にあたる人物。「山田臣」とも呼ばれる。
〈佐伯連古麻呂・葛城稚犬養連網田〉
両名ともに中臣鎌足に推挙され、入鹿暗殺の謀に加わる。