聖武天皇の東大寺供養のため、行基が外国から来る僧を迎えに行く。


昔、聖武天皇が東大寺を建て、開眼供養(仏像の目を入れて魂を宿す儀式)を行おうとしていた頃、行基という僧侶がいました。天皇は行基を供養の講師に任命しましたが、行基は「私にはその役目はふさわしくありません。きっと外国から講師を勤め得る者が来るでしょう」と答えました。
その外国の講師を迎えるため、行基は天皇に奏上して、百人の僧侶を引き連れて摂津国の難波の港へ向かいました。しかし、誰も現れませんでした。そのとき、行基は閼伽(仏前に供える水)の台を海に浮かべました。不思議なことに、その台は波に壊されることなく、西の方へ流れていき、やがて見えなくなりました。
しばらくして、婆羅門(バラモン)という僧、名を菩提といった人物が、小船に乗って現れました。そして、行基が流した閼伽の台は、菩提の船の前に戻ってきました。菩提は遠くインドから東大寺の供養に参加するためにやって来たのです。行基はこれを予見して迎えに来ていたのです。
菩提が上陸すると、行基と手を取り合い、大変喜び合いました。遠くインドから来た菩提と、行基がまるで旧友のように親しく語り合う様子を見て、人々は驚きました。
行基が歌を詠み、「霊山の釈迦の御前にて契りてにし真如朽ちせず相見つるかな(霊鷲山で釈迦様の前で、以前お約束した通り、こうしてまたお会いできましたね)」
婆羅門がこう返しました。「迦毘羅衛に共に契りし甲斐ありて文殊の御顔相見つるかな(迦毘羅衛の地で一緒にお約束したおかげで、今こうして、あなたが文殊菩薩であることを目の当たりにすることができました)」
これを聞いて、人々は行基が文殊菩薩(知恵を司る仏)の化身であることに気付きました。
その後、行基は菩提を天皇のもとへ案内し、天皇は喜んで菩提を講師として迎え、無事に東大寺の供養が行われました。婆羅門僧正というのはこの方(菩提のこと)です。その後、彼は大安寺の僧侶となりました。
菩提はもともとインド南部の迦毘羅衛国の出身です。文殊菩薩にお会いしたいと願って祈っていたところ、ある貴人が現れて『文殊菩薩は中国の五臺山におられる』とお告げをくれました。そこで菩提はインドから中国の五臺山に向かいましたが、その途中で一人の老人に出会いました。老人は菩提に、『文殊菩薩は日本に生まれ、日本の人々を救うために活動しておられますよ』と告げたのです。菩提はこれを聞いて、自分の願いを叶えるために日本に渡ってきました。

その日本に生まれた文殊菩薩というのは、まさに行基菩薩のことでした。だから、行基は菩提がやって来ることを予見して、ここで迎えに行ったのです。そして菩提もこのことを知っていて、まるで旧知の友人のように二人は親しく語り合ったのです。
普通の人々はこの深い関係を知らなかったので、二人が親しげに話す様子を不思議に思いましたが、それは行基が文殊菩薩の化身であることを知らなかったからです。


挿絵:ユカ
文章:くさぶき


今昔物語集「婆羅門僧正行基に値はんが為に天竺より朝に来たる語第七」登場人物紹介

<聖武天皇>
東大寺を建立し、仏像の開眼供養を行おうとした日本の天皇。行基を講師に任命した。

<行基>
聖武天皇に仕えた僧侶。文殊菩薩の化身とされ、遠方から来る僧を予見して迎えに行く。

<菩提(婆羅門僧正)>
インド出身の僧侶。文殊菩薩に会うために日本に渡り、行基との再会を喜び合った。