このままじゃ大仏さまに金が塗れないわっ!こんな時こそ神仏頼み!滋賀までそれゆけ良弁さん!!


今は昔、聖武天皇は東大寺を造られました。銅をもって居長□丈の盧舎那仏の像を鋳造させ、それに随って大なる堂を造り大仏を覆いたまわれました。また講堂・食堂・七層の塔二基・様々な堂・僧坊・戒壇・別院・諸門、皆様々に造りたまいました。
 初め御堂の壇を築くにあたって天皇は鋤を取って土を掬い、その土を袖に入れて運ばれ、天皇のその姿を見て大臣以下心を込めて造らない者はいませんでした。
 堂塔は皆完成し、大仏も鋳造し終わった後、大仏に塗るための黄金を多く手に入れることが必要になりました。日本には黄金がなく、中国から購入するしかありません。そのために遣唐使に財を多く持たせて使わし、明くる年の春に遣唐使は黄金を持って帰ってきました。その黄金をすぐに大仏に塗ると色は練色(薄い黄色)で僅かに量が足りず、大仏以外の多くの堂塔の金物にも黄金が塗れないと聖武は悲しみ嘆きました。
 そんな時、天皇はやんごとなき僧たちをそろって招き、どうすべきか問いました。ある僧は
「大和国の吉野郡に金峰という大きな山があります。思うにその山には金があるためにその名前なのだと考えられるので、とりあえずその山に居ると思われる山を護る神霊に今のこのことをお伝えすれば良いのではないでしょうか」
と言いました。天皇は
「それその通りだわ。超名案じゃん」
と言って、東大寺を造るリーダーであった良弁僧正を召してこのように申されました。
「今、法界の衆生の為に東大寺を造ってるよね。そのために超金がいるじゃない?思ったんだけど、この国に金ってどこにも無いよね……。伝え聴くところによるとね、吉野の金峰山には金があるらしいの。願わくばその山から金を分けてもらってきてちょ、良弁ちゃん」
と。
 良弁が天皇の言葉を受けて七日七夜祈り申すと、夢に僧が来て告げて曰く
「この山の金は弥勒菩薩が預けたまったものである。弥勒菩薩が出征の時に弘めるべきもので、その前に分つことはできない。私はこの金を護る者である。ところで、近江国の志賀郡の田上というところの離れたところに小山があり、その山の東面に椿崎という岩たちが起立しているところがある。その中に昔釣りをしていた翁の定めて居た岩がある。その岩の上に如意輪観音を造り居たまいて堂を造り、その金のことを祈り申せたまわらば祈り請うところの金自ら思いの後とくにできるだろう」
 夢から覚めてこのことを天皇に奏上し、宣旨を持って近江国の勢田に行って、南を目指して椿崎というところを訪ねれば人の教えてくれた事に従ってその山に入ってみれば、実に石どもが起立して並んでいるところがあった。その中にこの夢に見た釣りする翁のいた岩がある。これを見つけて帰り参りてこのことを天皇に奏上すると
「マジで?!すげーじゃん。すぐに夢の通りに如意輪観音の像を造って金のことを祈ってちょ!」
と。
 良弁はそのところへ行居て堂を起こして仏を造り供養の日よりこの金のことを祈り申しました。
 その後すぐに陸奥国と下野国より色が黄色の砂が出てきました。
 鍛治たちを召して吹き下してみると実に色目が良く出てまさに黄金でした。
 天皇は大いに喜んで陸奥国へより多く送るようにと遣いを出すと、陸奥国からより多くの黄金が奉じられました。

その金は大仏に塗りたまわられ、残った金は伽藍の装飾に使われました。
 震旦の金は練色でしたが陸奥国と下野国の金はそれより良いものであったことは明らかでした。これがこの国での産金の始まりです。
 その後、天皇は心を尽くしてこの寺を供養したまい、その講師は興福寺の隆尊律師という人でした。その人は化人(化身)でした。椿崎の如意輪観音は今の石山寺であると語り継がれています。


挿絵:やっち
文章:木春


今昔物語集「聖武天皇始めて東大寺を造りたまふ語十三」登場人物紹介

<聖武天皇>
奈良の大仏造った平城の天皇。本当はもっと生真面目でもっと厳格です。たぶん。

<良弁>
東大寺の偉いお坊さん。東大寺の四聖の1人。幼い頃鷲に連れ去られたことがあるらしい。