蘇我蝦夷が自害し、蘇我本家は滅亡した。中大兄皇子と鎌足により国が安定する。


(十六)乙巳の変(6) 蘇我蝦夷健在

人々は色々と取りざたして、「天の意志によって逆賊を滅ぼしたのだ」と思った。しかし、入鹿の父である蘇我蝦夷(豊浦大臣)はなお健在であり、彼を支持する者たちははまだ降伏していなかった。
中大兄皇子はすぐさま法興寺(飛鳥寺)に入って、そこを防衛の拠点として備えた。議政官(公卿大夫)たちは、みな中大兄皇子の側についた。使者を遣わして、入鹿の遺体を蝦夷に引き渡した。

(十七)乙巳の変(7) 東漢氏の退散

この時、漢直(東漢氏)らは一族を集めて、防具を身に着け、武器を手にし、蘇我蝦夷を助けようとして、群の陣営をいくつかに分けて設営した。中大兄皇子は巨勢徳多を遣わして、
「我が国の運営は、お前たちとは関わりのないものである。どうして天に背いて抵抗し、自らの一族を滅亡に追い込もうとするのか」
と言い伝えた。逆賊となった一味の高向国押​​は漢直らに
「わが主人である入鹿はすでに殺されてしまった。大臣(蘇我蝦夷)も捕らえられて処刑されるのを待つしかない。いったい誰のために無駄に戦って、みな処刑されようというのか」と言い終わるやいなや、逃げ出してしまった。賊徒たちもまた逃げ散ったのである。‌

(十八)乙巳の変(8) 蘇我本家の滅亡

皇極天皇4年(645年)6月13日に、蘇我蝦夷は、自身の邸宅(奈良県高市郡明日香村の甘樫丘)で自害した。悪い気が洗い除かれ、逆賊は身を潜めた。人々は喜び、みな万歳を唱えた。中大兄皇子は鎌足を褒め称えて、「国家が再び安定し、衰えかけていた国運が盛り返したのは、まさに鎌足のおかげである」と言った。鎌足は謙遜して「これは貴方様の高い徳によるものです。私の功績ではありません。皆が服従したのは、私が手を下した結果ではありません」と言った。


挿絵:雷万郎
文章:くさぶき


登場人物紹介

<蘇我蝦夷>
蘇我入鹿の父。入鹿が乙巳の変で死んだことを知り、自害する。

<巨勢徳多>
前年は蘇我入鹿の命により、斑鳩宮の山背大兄王を襲った。乙巳の変では中大兄側の人物として功を立てた。