ついに入鹿暗殺計画を実行に移すときが来た。刺客たちは腹ごしらえをするが、緊張のあまり吐いてしまう。
十一)
皇極天皇(後岡本天皇)四年、乙巳の歳の夏六月、中大兄皇子は三韓が上表文を奏上したとの誤った情報を流した。人々はそれを信じた。そして、山田臣(蘇我倉山田石川麻呂)に「三韓の上表文は貴公に読んでいただこう。その気の緩みに乗じて入鹿を殺そう」と言った。山田臣はそれを承諾した。こうして策は定まった。
(十二)
十二日、帝が出御遊ばされ、古人大兄皇子がそばに侍る。舎人に急いで入鹿を呼び出させた。入鹿は立ち上がって靴を履こうとするが、靴が三回まわってしまい履くことができない。入鹿は不吉なものを感じ、辺りをうろうろしたが舎人が頻りに呼んでいる。参内を取りやめることはできなかった。
大臣(鎌足)は入鹿が疑り深く昼夜剣を持ち歩いていることを知っていたので、俳優を使って騙して剣を解かせるようにした。入鹿は咲(わら)って剣を解き、宮殿に入って席についた。
(十三)
山田臣は進み出て三韓の上表文を読み上げた。そこで中大兄皇子は衛門府に命じて十二の門を一斉に閉めさせた。そして自ら長槍を手にとって宮殿の側に隠れた。大臣は弓矢を持って皇子を護衛した。皇子は箱の中の二振りの剣を佐伯連古麻呂と稚犬養連網田に授け、「努力努力、一箇打殺(心して一撃で仕留めよ)」と言った。二人は水でご飯を流し込もうとするが、むせて吐いてしまった。大臣は彼らを大声で励ました。
(十四)
山田臣は上表文がまもなく終わろうとしているのに古麻呂達がまだ来ないことに恐れをなし、全身に汗が流れ声が乱れて手が震えた。鞍作(入鹿)は怪しんで「なぜ震えているのか」と問うた。「御前に近く侍っておりますので汗をかいております」と山田臣が答える。
中大兄皇子は古麻呂達が入鹿の威を畏れているのを見るやすぐに進み出た。古麻呂達も不意をついて剣で入鹿の頭と肩に斬りつけた。
(十五)
入鹿が驚いて起き上がる。古麻呂は剣を振りかざしてその足を切った。入鹿は帝の玉座に縋りつき、叩頭して「私に何の罪があるというのですか。どうかお取調べを」と言った。天皇は大いに驚いて「いったいどうすれば良いのです。何事ですか」と中大兄皇子に言った。皇子は平伏し、「鞍作は王統を滅ぼし、天の御位を傾けようとしています。どうして帝子を鞍作に代えられましょうか」と言った。天皇は立ち上がり、宮殿の奥へ入っていった。
古麻呂達はとうとう鞍作を誅殺した。この日は雨で、庭は水で溢れていた。敷物や衝立で鞍作屍を覆った。
挿絵:あんこ
文章:水月
登場人物紹介
〈中臣(藤原)鎌足〉
藤原家の始祖。中大兄皇子(のちの天智天皇)に仕え、大化の改新をする。
〈中大兄皇子〉
のちの天智天皇。大化の改新の中心人物。
〈蘇我入鹿〉
大豪族。時の権力者。