なかなか子を授かれなかった夫婦は、峰の薬師に様々な宝物を捧げて子宝祈願をするが…


浄瑠璃御前物語「願立」
さて、浄瑠璃御前の本地、もとは神仏でこの世に化身されたお方の由来を詳しくお話ししましょう。
この方はこの国に比べる者のないほどに素晴らしい方であった。それもそのはずで、父は伏見の源中納言兼高といって、三河の国の国司であった。母は矢矧の長者であり、海道一の遊君であった。また蔵を六万九千三百八十六つ持っていたともいう。
金や銀などを泉の湧くがごとくに、数多くの珍宝を持っていた。しかし跡継ぎとなる子には恵まれずにいた。
なので、その頃三河国で評判の高かった峰の薬師へ詣でて「南無薬師十二神、世継ぎの子を一人お授けください」と三十三度の礼拝をした。
長者は、「綾三百三十三反、錦三百三十三反、絹も三百三十三疋、これらは仏の御戸帳として、私が生きている限り三年に一度ずつ掛け替えて差し上げます。それでも足りないとお思いならば、八尺の掛けの帯、五尺の髢(かもじ)、八花形の唐の鏡、十二の手箱をお納めします。それでも足りないとお思いならば、金や銀で文字を書いた幡を月に三十三枚ずつ掛け替えて差し上げます。
それでも足りないとお思いならば、紺地の錦三十三反、青地の錦三十三反、赤地の錦三十三反をお納めします。それでも足りないとお思いならば、私と同い年の僧五百人に絹の衣と絹の袈裟一対を贈り、私が生きている間は一年に一度ごとに供養をお願いいたします。それでも足りないとお思いならば、黄金の御堂を七間四面に建てさせて鵠の霜降り、鶴の本白、烏の濡色、鷲の羽、朱鷺の焦羽、鴛鴦の思羽をもって屋根を葺かせて差し上げます。男子でも女子でも、どうか世継ぎを一人お授けください、南無薬師十二神」と申された。
長者は十四日籠って祈ったが、霊験のしるしは表れず、むなしく三河の屋敷に帰った。
源中納言兼高は、「次は私も行って願ってみよう」と言って五百輌の車に金と銀を千石積ませて峰の薬師へ詣でた。
「南無薬師十二神」と伏し拝み、「朱の糸でたてがみを結って飾った黒駒の馬を三百三十三匹、長者が生きている間は竹に馬の轡を結って曳いてきましょう。それでも足りないとお思いならば、鎧三百三十三領、冑を三百三十三掛お納めします。それでも足りないとお思いならば、弓筈を角で作った槻弓を三百三十三張、靭(うつぼ)三百三十三腰を掛けてお納めします。それでも足りないとお思いならば、唐金の鰐口を一月に三十三掛けずつ掛け替えさて差し上げます。
それでも足りないとお思いならば、御堂の周りに金や銀で敷石を作って、御堂の周りを厚さ四寸になるように敷きましょう。それでも足りないとお思いならば、金で作った太刀を千本と銀で作った太刀を千本、五色の糸で斎垣に結いつけましょう。それでも足りないとお思いならば、御堂の前に蓬莱山を飾り、金で太陽を、銀で月をかたどって飾りましょう。それでも足りないとお思いならば、御坂七里の間を百貫の石で石畳を敷いて差し上げます。
男子であっても女子であっても文句は言いますまい、世継ぎの子を一人お与えください。南無薬師十二神」と申された。

二十一日が過ぎ、満願の夜更け、香染めの衣と袈裟を着た六十歳ほどの僧が、水晶で出来た数珠を爪繰りながら長者の夢に現れ、言った。
「今すぐ帰るがいい。唐土、天竺、百済国、わが国六十六か国を、私の七尺の鉄の杖が三尺に、八寸の鉄の高下駄が四寸になるまで、天界から地の底まで訪ね歩いたがそなたに授けられる子種はなかったのだ。今からその理由を語って聞かせよう。
浅間の嶽の麓にみぞろ池という池がある。そなたがその池の主だった時に、川に生きる魚を食い尽くしたために未だに子種に恵まれないのだ。長者として生まれることが出来たのは、浅間の嶽より尊い僧が下ってきて池のほとりの観音堂に百日間籠り、昼は一部の経を読み、夜は夜通し念仏を唱えていたのを聞いて功徳を積んだために長者と生まれることが出来たのだ。
夫である源中納言兼高の前世はどんなものであったと思うか。雲より高い峰に住む鷲であったが、様々な小鳥を取りつくした罪によって、これも子種はなかったのだ。しかしありがたくも不思議なしるしによって鞍馬の寺多門堂からの法華経を読み上げる声を聞いていた功徳によって、今生では三河の国の国司になれたのだ。その上に子種は得られなかった。お帰りなさい、長者殿。」と仰られた。
長者は夢から覚めて、「世継ぎの子を授かれないのであれば、夫婦揃って腹を切って、その血を薬師に繰り返し掛けて周りを池にしてしまいましょう。そして大蛇となってその池に住んで毎月八日には参拝しに行く者を千人、参拝終わりの者を千人ずつ殺してしまいましょう。そうしたら何とはなくとも三か月もすれば寺は荒れるでしょう。それが大きな憂いになるとお思いになるなら、世継ぎの子を一人ください、南無薬師十二神」と言われた。
薬師仏はそれをお聞きになり、「そこまで念じるのであれば十二神を一体子種として授けよう」といって、玉の入った箱を取り出して長者の左の袖に移された。「名は南無東方浄瑠璃御前と名付けなさい」と言われかき消えるようにいなくなった。長者は大変喜んで薬師に三十三度の礼拝をし、やがて矢矧の御所に帰っていった。
長者は帰ると、さっそく立派な産屋を構えた。
四十二羽の鳥の羽交を揃えて四十二鉾に葺いて、子安観音を三十三体納めて、産屋の御所と名付けた。
九か月半が過ぎたごろ、長者は腹帯を解き出産なさった。生まれた子はとても優れた姫君で、美人であった。その美しさはまさに瑠璃の玉を磨いたようであったので、浄瑠璃御前と名付けられた。
浄瑠璃姫が七歳になる春のころ、矢作の寺に入って勉学を始めると、一字を教えると二字悟り、五字も十字も千字も万字も悟るようにとても賢い人であった。華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃、三部経まで読み終えて、十一歳の春に全て学ばれ、矢作の唐風の御所に戻られた。
兼高はこの様子を見て、この姫は自分の娘であるけれども薬師から頂いた子種であるので、同じ御所に住まわせては恐れ多いと思い、別に十二間の唐風の御所建てられた。姫に仕える者を身分ごとに上中下それぞれ八十人、総勢二百四十人あまりの女房をお付けになって、二月の八日にからの御所へと移られた。


挿絵:癒葵
文章:ユカ


浄瑠璃御前物語「願立」登場人物紹介

〈源中納言兼高〉
浄瑠璃姫の父。三河の国司。

〈長者〉
浄瑠璃姫の母。海道一の遊君であり遊女の長。