斉明天皇が朝倉宮にて崩御する。


 斉明天皇七年六月(661年6月)、伊勢王が薨じた。
 秋七月甲午朔丁巳(7月24日)、天皇が朝倉宮で崩御した。
 八月甲子朔(8月1日)、皇太子(中大兄皇子)は天皇の柩に付き添って、磐瀬宮へ帰着した。この夕方、朝倉山の上に大笠を着た鬼が現れ、喪儀を見守った。衆人はみなどうしたことかと不思議に思った。

 冬十月癸亥朔己巳(10月7日)、天皇の柩は海路で帰途についた。皇太子はある場所に停泊し、天皇を追慕して、こう歌を読んだ。
 君が目の 恋しきからに 泊てて居て かくや恋ひむも 君が目を欲り
(あなたにお目にかかりたくて、こうして停泊してあなたと共におりますが、これほど恋しさが募るものでしょうか。あなたにお目にかかりたくて)
 乙酉(23日)、天皇の柩は難波港に帰還した。
 十一月壬辰朔戊戌(11月7日)、天皇の柩を飛鳥川原に運んで殯を行った。それから9日まで、哀の礼を奉った。日本世記(高句麗僧・道顕による編年体の歴史書)によると、「11月、福信が連れ帰った唐人・続守言たちが筑紫に着いた」という。ある本によると、辛酉の年に百済の佐平(百済十三等官品の最高位)である福信が献じた唐の捕虜106人を、近江国の墾田に住まわせたというが、庚申の年すでに福信は唐の捕虜を献じたとある。それゆえここに注記するので、判断されたし。


挿絵:あんこ
文章:くさぶき


日本書紀「斉明天皇(11)」登場人物紹介

<中大兄皇子>
斉明天皇の子。
<鬼室福信>
百済の武将。倭国で人質となっていた王子・余豊璋の送還と援軍を要請し、豊璋を王位につけた。内紛のため豊璋に殺された。