大生部多は常世の神を祀って喜捨することを勧めたが、民を惑わす者として秦河勝に打たれた。


 皇極天皇三年秋七月(644年7月)、東国の不尽河(ふじのかわ)の辺りの住人である大生部多(ひとおほふべのおほ)は、虫を祀ることを村里の人に勧めて「これは常世の神である。この神を祀れば、富と長寿をもたらすだろう」と言った。
 巫覡(かんなぎ)たちは偽って神託し、「常世の神を祀れば、貧しい者は富み、老いた者は若返るだろう」と言った。そうして、民へさかんに家の財宝を捨てるよう勧め、酒を並べ、菜・六畜を路傍に並べて、「新しい富が入って来た」といった。

 都の者も田舎の者も常世の虫を取って、清座(神聖な座)に置き、歌い踊って福を求め、珍宝を捨てた。しかし、益はまったくなく、ただ損害や出費が甚大であった。ここに葛野の秦造河勝は、民が惑わされているのを憎み、大生部多を打った。かの巫覡らは彼を恐れ、祀ることを勧めるのを止めた。当時の人はこう歌を詠んだ。
 太秦は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ち懲たます
(太秦は、神の中の神とも噂される常世の神を、打ち懲らしたことだ)
 この虫はふつう橘の木や、曼椒(山椒を指す)に生じる。「曼椒」はここではホソキという。長さは四寸(およそ12センチ)余りで、大きさは親指ほどである。色は緑色で黒い斑点があり、形は蚕に似ている。


挿絵:茶蕗
文章:くさぶき


日本書紀「皇極天皇(8)」登場人物紹介

<秦河勝>
秦氏の中心人物で、山背の葛野(現在の京都市西部)に住した。
<大生部多>
富と長寿をまねく常世(とこよ)の神を信仰するよう人々にすすめた。常世の神はアゲハチョウ類の幼虫とみられる。