この年、天変地異が続発した。また、先王の喪葬の礼を行った。


 皇極天皇元年冬十月癸未朔庚寅(642年10月8日)、地震があり雨が降った。
 辛卯(9日)に地震があった。この夜、地震があり風が吹いた。
 甲午(12日)、天皇は蝦夷を朝廷で饗応した。
 丁酉(15日)、蘇我大臣は蝦夷を家に招待し、自ら慰問した。この日、新羅から弔使船(前天皇崩御を弔う使者の船)と賀騰極使船(新天皇即位を祝う使者の船)が、壱岐島に停泊した。
 丙午(24日)の夜中に、地震があった。
 この月に夏の政令を行ったため、雲がないのに雨が降った。

 十一月壬子朔癸丑(11月2日)、大雨が降り雷が鳴った。
 丙辰(5日)の夜中、西北の方角で雷が一度鳴った。
 己未(8日)、西北の方角で雷が五度鳴った。
 庚申(9日)、天候は暖かく春のようであった。
 辛酉(10日)、雨が降った。
 壬戌(11日)、天候は暖かく春のようであった。
 甲子(13日)、北方で雷が一度鳴って風が吹いた。
 丁卯(16日)に、天皇は新嘗の儀式を執り行った。この日に、皇太子(中大兄皇子)と大臣もそれぞれ新嘗の儀式を行った。
 十二月壬午朔(12月1日)、天候は暖かく春のようであった。
 甲申(3日)、雷が昼に五度鳴り、夜に二度鳴った。
 甲午(13日)に、初めて息長足日広額天皇(舒明天皇)の喪葬の礼を行った。この日に、小徳巨勢臣徳太が大派皇子に代って誄を述べた。次に小徳粟田臣細目が軽皇子に代って、次に小徳大伴連馬飼が大臣に代って誄を述べた。
 乙未(14日)、息長山田公が日嗣のことを誄申しあげた。
 辛丑(20日)、雷が東北の方角で三度鳴った。
 庚寅(9日)に、雷が東で二度鳴って、風が吹き雨が降った。
 壬寅(21日)に、息長足日広額天皇を滑谷岡に葬りまつった。この日、天皇は小墾田宮に移った。ある本によると、東宮(中大兄皇子)の南庭の権宮に移られたという。
 甲辰(23日)、夜に雷が一度鳴った。その音は裂けんばかりであった。
 辛亥(30日)、天候は暖かく春のようであった。


挿絵:茶蕗
文章:くさぶき


日本書紀「皇極天皇(3)」登場人物紹介

<皇極天皇>
第35代天皇。先帝・舒明天皇の皇后。
<蘇我蝦夷>
舒明・皇極天皇代の大臣。