義淵僧正の出生と、竜蓋寺の成り立ち。
今は昔、天智天皇の御代に、義淵僧正という人がいた。俗姓は阿刀〔氏〕であるが、もともとは権化(仏や菩薩が人の姿に变化して現れたもの)の人である。
はじめ、義淵僧正の父母は、大和国□〔欠字〕市郡天津守郷に長年住んでいた。この夫婦は子がいないことを悲しみ、何年もの間、観音に祈願していた。ある夜のこと、お堂の後方で赤子の泣く声が聞えた。夫婦はいぶかしく思って出ていくと、柴の垣根の上には白いかたびらに包まれた者がおり、何ともいえぬ良い香りがただよっていた。これを見た夫婦は恐ろしく思ったが、取り降ろしてみると、端正でとても美しい男の子が白いかたびらの中にいる。今年生まれたばかりであろう赤子であった。
夫婦は、「これは、わたしたちが長年子宝を祈願していたので、観音さまがお与えくださったのだ」と喜び、取り上げて家の中に入れた。せまい家の中にはかぐわしい香りが満ち満ちた。そうして養育しているうち、赤子はやがて健やかに成長していった。
天皇はこのことをお聞きいてその子を召し寄せると、養って皇子とした。ところが、この子は聡明で仏法の道に明るかった。ついに頭をそって法師になると、興福寺の僧として、大宝三年という年に僧正になった。そして元の家のあった場所に寺院を建て、如意輪観音を安置し奉った。
今の竜蓋寺(岡寺)というのはこの寺である。霊験あらたかで多くの人がこぞって参詣し、何かお願いごとを祈請すると、必ずその効験がある、とこう語り伝えられているそうだ。
挿絵:あんこ
文章:くさぶき
今昔物語「義淵僧正始竜蓋寺語」登場人物紹介
<義淵僧正>
法相宗の僧。