寺地の選定をしていたところ、夢枕に立った僧が方角を示した。使者が向かうと老翁がおりーー。


天智天皇建志賀寺語

 今は昔、天智天皇が近江国志賀郡の粟津宮(大津京)にいた時のこと。寺を建てようと願い、「寺を建てるのに適した地をお教えください」と祈願したその夜、夢に一人の僧が現れた。
「戌亥(北西)の方角に、とても良い場所がございます。すぐに行ってご覧になってください」
 天皇は夢から覚めてすぐに出かけると、戌亥の方に光が見えた。そこで翌朝、使者を送って調べさせた。使者が向かい、光の見える山を訪ねると、志賀郡篠波山の麓まで来た。谷沿いに深く入ると高い崖があり、その下には深い洞窟があった。
 洞穴の入口そばに近寄り、中をのぞいてみると、頭巾をかぶった老翁がいた。その姿はまことに怪しげで、常人ならぬ聡明な目つきをしており、たいへん気高く感じられた。使者はそばに寄って、
「このような場所にいるあなたは一体何者ですか。じつは、天皇がこちらの山をご覧になった際、光がお見えになったため、調べてくるようにとの宣旨を承りここへ参ったのでございます」
と話しかけたが、翁はまったく答えない。使者はますます困ったが、何かわけがあるのだろうと思い、帰って事の次第を奏上した。
 天皇はこれを聞くと驚き怪しみ、「行幸し、自分で尋ねてみよう」と、すぐにその場所へ行幸した。御輿をその洞窟のそば近くに寄せて下ろさせ、御輿から降りて洞窟の入口に近づくと、本当にその翁がいた。翁は天皇の姿を見ても、少しも恐れかしこむ様子はない。錦の帽子をかぶり、薄紫の直衣を着ている。姿は神々しく気高く見えた。
 天皇は翁に近づくと「このような所にいるそなたは何者か」とお尋ねになる。その時、翁は袖を少しかき合せ、座をいくぶん退くようにして、「昔の仙□□〔欠字〕洞窟でございます。篠波や、長柄の山に」など言って、かき消すように見えなくなった。そこで天皇は□□〔欠字〕を召して、「翁は、このように言って、姿を消した。この地は尊い霊所であることがよくわかった。ここに寺を建てるべきである」と、宮殿へ帰った。
 その翌年の正月、はじめて大きな寺院を建立し、丈六の弥勒菩薩の像を安置し奉った。供養の日に灯盧殿(灯籠)を建て、天皇みずから右手の薬指で灯明をともし、その指を付け根から切って石の箱に入れ、灯籠の土の下に埋めた。これは、手に灯をともして弥勒菩薩に奉るという信心を示したものである。
 また、この寺を建立する際に整地をしていると、三尺ばかりの小さい宝塔を掘り出した。その形はこの世のものとは思えない、昔の阿育王が八万四千の塔を建てた、その一つであると天皇は悟り、いっそう深く誓いを立て、指を切って埋めたのである。

 また、供養の後、天平勝宝8年2月15日、参議正四位下兼兵部卿、橘朝臣奈良麻呂という人が、この寺で伝法会という法会をはじめて行った。この法会では、『華厳経』をはじめとした、もろもろの大・小乗の経、律、論や章疏を講じさせた。その費用のために水田二十町を寄進し、「この後も永久に法会をつづけよう」と言った。それ以後、今にいたるまで、橘氏の人が参詣して、この法会を行わせている。
 ところで、この寺では供養の後、あの御指が霊験を示して、少しでも穢れのある連中を谷に投げ捨てたため、人々の参詣が絶えてしまった。そこで、だいぶ以前に、何という名の僧であったか、別当になってこの寺の寺務をとりしきっていたが、
「この寺には少しも人が参詣せず、実に物足りない。これはこの御指のせいだろう。すぐに掘り捨てよう」
と掘らせると、突如雷雨がほとばしり、ものすごい音を立てて大きな風が吹いた。だが、別当はますます立腹し、ついに御指を掘り出してしまった。見ると、御指はたったいま切ったばかりのように白く光っており、あざやかな色をしている。だが掘り出した後、すぐに水になって消え失せた。それから間もなく、別当の僧は狂い死にしてしまった。その後、この寺には何の霊験もなくなっている。「別当はとんでもないことをしたものだ」と、死んだ後まで世間の者はみな憎んでいた。
 崇福寺というのがこの寺である、と語り伝えられている。


挿絵:茶蕗
文章:くさぶき


今昔物語集「天智天皇建志賀寺語」登場人物紹介

<天智天皇>
第39代天皇。大津に都を置いた。