物部守屋大連の負けが決まると大連に仕えている捕鳥部万と言う者が夜逃げし、戦闘の末に壮絶な最後を迎えます。
崇峻天皇(2)
物部守屋大連に仕える者に捕鳥部万という人がおり、百人の兵を率いて難波の邸宅を守っておりました。
しかし、大連が戦で敗けたと聞くと馬に乗りこっそりと夜逃げし、茅渟県の有真香邑と向かいました。
邑へと着くと捕鳥部万は妻の家へと立ち寄ってから山の中に逃げ隠れてしまいました。
朝廷は会議を開き「万は、朝廷への逆心を胸の内に抱いたのだろう。それ故に彼は、この山中に逃げ隠れている。このまま万が逃げ続けるのであれば、捕鳥部の一族を早急に滅ぼすしかないだろう。その時は怠らずにやりなさい」と申された。どこで朝廷の決定を知ったのか、万は着ている衣服は破れ垢まみれで憔悴しきった顔をしながらも、弓と剣を持ったまま独り山から出てきました。
役人は数百人もの衛士を派遣し万を取り囲みましたので、万は驚き竹林に身を隠し、縄を竹に括り付け引き動かしては、自分の居場所を衛士に特定されないようにしていました。衛士らは万の思惑通りに騙されて、揺れ動く竹を指さし駆けつけては「万はここに居る」と口にするのです。万は、素早く衛士に向かい矢を射ました。一つとして放った矢が外れることはなく、衛士らはすっかり恐れてしまい近づこうとはしません。万は弓の弦を外し、腋に挟むと素早く山へと逃げ込んでしまいました。衛士らはすぐに逃げる万に対して河を挟んで射かけるが、誰一人として万に射中てることはできませんでした。そこで、衛士の一人が駆けて行き万の前へと駆け出でました。そうして、河の淵に身を低くして待ちぶせをし射たところ、今度は万の膝に中った。
万は素早く、膝に刺さった矢を抜き弓に弦を張って矢を射たが、とうとう地面に倒れこんでこう叫んだ「万は、天皇の楯としてこの武勇を披露してみせようとしていたのだが、誰にも申し開きを聞いていただけない。それどころか、このような窮地にまで追い込まれることとなってしまった。話が通じる者が居るならば出てくるが良い。自分は殺されるのか、捕虜になるのかを問いたい」
衛士らは、競うように万に矢を射かけました。万はすぐさま飛んでくる矢を払い除けて、三十余人を殺しました。
佩いていた剣を使い、自らの弓を三つに断ち切り、今度は手にしていた剣を曲げて河に投げ入れて、別に隠し持っていた小刀で首を刺して自らの命を断ちました。
河内の国司は万の死んだ様子を朝廷に報告し、朝廷の指示を仰ぎました。朝廷は蝶符(命令書)を与えておっしゃるには「万の体を八つ裂きにして八つの国に分けて串刺しの刑にして晒せ」と宣いました。
河内国司は、すぐさま蝶符の内容に従い、万の亡骸を八つ裂きにしようとすると突如雷が轟き、大雨が降りだしてきました。
そこに万が飼っていた白い犬がやってきて、俯いたり天を仰ぎ、そばをぐるぐると周回しては天に吠えた。
ついには白い犬は亡骸の頭を咥え上げると古い墓に収め、傍に伏し続けてとうとう餓死してしまいました。
河内国司はその犬を不審に思い、朝廷に子細を調べ報告しました。
朝廷は、その犬を大層哀れに思い聞くに耐えられませんでした。蝶符を取り下げ、犬の行動をお褒めになられ「この犬は、世にも珍しい犬である。後の世に語り継がれるべきである。万の一族はこの犬の墓を造り、丁重に葬らせよ」と宣われた。
これにより万の一族は有真香邑に万と犬の墓を二つ造り、葬りました。
「餌香川原に、殺された人の亡骸があります。数えると数百にもなります。亡骸は既に腐敗しており、氏名はおろか個人の識別など出来ない状態です。ただ、亡骸が着ている衣の色をたよりにその遺骸を引き取っています。
そこに桜井田部連胆渟が飼っている犬が居て、主人と思われる亡骸をくわえたまま、傍らで伏してかたくなに守り続けていましたが、亡骸が引き取られるのを見届けると犬は立ち去ってゆきました。」と河内国が申し上げる。
八月の癸卯朔の甲辰(八月二日)に、炊屋姫尊と群臣とが、天皇にとお勧めしてご即位されました。以前の通り蘇我馬子宿禰を大臣とし、卿大夫の位も人選に変化はございません。
この月に、倉梯に宮を造りました。
元年の春三月に、大伴糠手連の娘小手子を迎え入れ妃とされました。この妃は蜂子皇子と錦代皇女とを御産みになられました。
挿絵:あんこ
文章:ことは
「崇峻天皇(2)」登場人物紹介
<捕鳥部万>
物部守屋大連の部下であり、とても武勇に優れている武人。白い犬を飼っていた。
<物部守屋大連>
軍部を司る連を纏める物部一族の長。蘇我馬子宿禰の計略で謀殺されている。
<蘇我馬子宿禰>
内政を取り仕切る大臣の立場にある人物。物部守屋大連を滅ぼすよう皇子らに進言し、謀殺したとされる。
<桜井田部連胆渟>
物部守屋大連に仕えた武人。河内国餌香の河原にて戦死した。