用明天皇が即位した。穴穂部皇子は三輪逆の殺害に乗じて天下をとろうと目論見、守屋と兵を率いて皇居を囲む。
橘豊日天皇(用明天皇)は天国排開広庭天皇(欽明天皇)の第4子である。母は堅塩媛という。天皇は仏法を信仰し、神道を尊重した。
敏達天皇14年秋八月(585年8月)、渟中倉太珠敷天皇(敏達天皇)は崩御した。
九月甲寅朔戊午(9月5日)、用明天皇が即位する。磐余に宮を造り、池辺双槻宮と名付けた。蘇我馬子宿禰(蘇我馬子)を大臣とし、物部弓削守屋連(物部守屋)を大連とすることは、いずれも先代のとおりである。
壬申(9月19日)、天皇は以下のように詔した。酢香手姫皇女を伊勢神宮に召し、日神(天照大神)の祭祀に仕えさせる。酢香手姫皇女は、用明天皇から炊屋姫天皇(推古天皇)の世に至るまで、日神の祭祀に仕えた。後に自ら葛城に退いて薨じたと、炊屋姫天皇の紀にある。またある本によると、37年間 日神の祭祀に仕え、自ら退いて薨じたという。
用明天皇元年春正月壬子朔(586年1月1日)、穴穂部間人皇女を立てて皇后とした。皇后は4人の皇子を生んだ。その一子を厩戸皇子という。またの御名は豊耳聡聖徳、あるいは豊聡耳法大王、あるいは法主王という。この皇子は、初めは上宮に住み、後に斑鳩へと移った。推古天皇の世では東宮に即き、国政をすべて執り行い、天皇の代行をした。この話は推古天皇の紀に記述がある。二子は来目皇子といい、三子は殖栗皇子、四子は茨田皇子という。
蘇我大臣稲目宿禰(蘇我稲目)の娘・石寸名を立てて嬪とした。この嬪は田目皇子(豊浦皇子)を生んだ。葛城直磐村の娘・広子は一男一女を生んだ。皇子を麻呂子皇子といい、当麻公の先祖である。皇女を酢香手姫皇女といい、天皇3代にわたって日神に仕えた。
夏五月、穴穂部皇子は炊屋姫皇后を姧そうと思い、殯宮(先帝の遺体を安置している仮宮)へ無理に入ろうとした。敏達天皇の寵臣である三輪君逆(三輪逆)は、兵衛(武装した舎人)を召集して殯宮の門をかため、遮って中へ入れなかった。穴穂部皇子が「誰かそこにいるのか」と尋ねると、兵衛は「三輪君逆がおります」と答えた。「門を開け」と7回叫んだが、ついに聞き入れなかった。そこで穴穂部皇子は、大臣と大連にこう述べた。
「三輪逆は再三に渡り無礼を働いた。殯の庭で誄を述べて『私は、朝廷を荒らさず、鏡面のように浄らかに、治平を保つようお仕えいたします』と言ったのだ。まずこれが無礼である。まさに今、天皇の子弟は多くおり、大臣大連も控えている。自らの思うままに、専一にお仕えするなどと言ってよいはずがない。また、私が殯の内を見ようとすると、遮って入れようとしなかった。私が自ら『門を開け』と叫んだが、7回とも応じなかった。奴を斬り捨てたいと思う」
大臣と大連は、「仰せのままに」と答えた。このようにして穴穂部皇子は、ひそかに天下の王となろうと謀り、口実をつくって逆君を殺すつもりであった。そうして物部守屋とともに軍兵を率いて、磐余の池辺を囲んだ。三輪逆はこれを知ると、三諸の岳(三輪山)に隠れた。この日の夜中にこっそりと山から出て、後宮(炊屋姫皇后の別邸。海石榴市宮)に隠れた。逆と同姓の白堤と横山とが、三輪逆の居場所を告げた。
穴穂部皇子は物部守屋を派遣した。ある本によると、穴穂部皇子と泊瀬部皇子とが共謀して、守屋大連を遣わせたとある。穴穂部皇子は「お前が行って、逆君とその2人の子を討て」と言った。
物部守屋はついに軍兵を率いて出かけた。蘇我馬子は他所でこの計略を聞いて、皇子のもとへ向かったところ、皇子の家の門前で皇子に出逢った。皇子は物部守屋の所へ行こうとしていた。そこで蘇我馬子は「王たる者は罪人を近づけないものです。ご自分からお出になってはなりません」と諫言する。皇子は聞き入れず出かけた。馬子はすぐに後を追って磐余まで行くと、更に強く諫めた。皇子は諫言に従い思いとどまると、その場で胡床に腰かけて物部守屋を待った。かなり経って守屋がやって来ると、守屋は軍衆を率いて、「逆らを斬って参りました」と復命した。ある本によると、穴穂部皇子が自ら出向いて三輪逆を射殺したという。
そこで馬子は悲しみ嘆き、「天下が乱れるのも、そう遠いことではないだろう」と言った。守屋はこれを聞いて、「お前のような小臣の知ったことではない」と答えた。この三輪逆は、訳語田天皇(敏達天皇)に寵愛され、内外のことをすべて委任されていた。そのため、炊屋姫皇后と馬子は、共に穴穂部皇子を恨むようになった。この年、太歳は丙午であった。
挿絵:茶蕗
文章:くさぶき
日本書紀「用明天皇(1)」登場人物紹介
<用明天皇>
第31代天皇。
<敏達天皇>
第30代天皇。用明天皇の異母兄弟。
<推古天皇>
第33代天皇。敏達天皇の后。
<三輪逆>
敏達天皇の寵臣。
<穴穂部皇子>
用明天皇の異母兄弟。
<物部守屋>
用明天皇御代の大連(連の姓をもつ氏から選ばれる最高執行官)
<蘇我馬子>
用明天皇御代の大臣(臣の姓をもつ氏から選ばれる最高執行官)