頼政は一族を率いて三井寺に向かったが、家臣の渡辺競は一人後に残された。
宗盛は競を召し抱えることにするがーー。
競(後編)
同、五月十六日の夜。源三位入道頼政(源頼政)、嫡子の伊豆守仲綱(源仲綱)、次男の源大夫判官兼綱(源兼綱)、六条蔵人仲家(源仲家)、その子の蔵人太郎仲光(源仲光)、以下、総勢三百騎余りの軍は、頼政の館に火をかけて焼き払い、高倉宮のいる三井寺へと向かった。
頼政の従者に、渡辺源三滝口競(渡辺競)という者がいた。馬で駆けつけるのが遅れて頼政の館に留まっていたところを、前右大将(平宗盛)が六波羅に召した。
「なぜお前は、三位入道の供をせず、館に残っていたのだ」
競は畏まってこう返答する。
「万一のことあれば、真っ先に主君のもとへ駆けつけて、命を捧げる覚悟でおりました。しかし此度、殿はどういうわけか、私になにもお言葉をかけてくださらなかったのです」
「朝敵である頼政法師に味方することはない。そなたは平氏にも兼任していたことがある。将来の昇進や後の繁栄を考えて、当家に奉公する気はないか。ありのままに申せ」
宗盛の言葉に、競は涙をはらはらと流した。
「先祖代々のよしみはもちろん大切ですが、朝敵となった者に味方をする道理はありません。宗盛殿に奉公したく存じます」
「それなら奉公せよ。頼政法師がお前に与えていた恩恵には、少しも劣らぬつもりだ」
といって、宗盛は奥へと入っていった。
「侍所に競はいるか」
「おります」
「競はいるか」
「おります」
というように、競は朝から夕方になるまで宗盛のそばに仕えていた。ようやく日も暮れる頃、宗盛が出てきた。競がかしこまってこう述べる。
「三位入道殿は三井寺にいるとの情報です。きっと討手の兵を送ってくることでしょう。しかし恐れるに足りません。三井寺の法師、それに渡辺の親しい奴らがおりましょう。選り討ちなどしたいところですが、あいにく乗って役に立ちそうな馬を、親しい者に盗まれてしまいました。殿の御馬を一頭お預けいただけないでしょうか」
競の言葉に宗盛は「もっともだ、それがよかろう」といい、煖廷(なんりょう)と名付けた秘蔵の白葦毛の馬に立派な鞍をつけ、競に与えた。
競は自分の館に帰り、「早く日が暮れればいい。この馬で三井寺へ馳せ参じ、三位入道殿の先陣を駆けて、討ち死にしよう」といった。
ようやく日が暮れると、競は妻子をそこかしこへ隠れさせ、三井寺へ出発した。その心中はまことに痛ましい。
菊綴を大きくつけた平紋の狩衣の上に、先祖代々の着背長である緋縅(ひおどし)の鎧を着て、銀の星(釘の頭)のついた兜をかぶり、いかめしい作りの大太刀を帯び、二十四本の大中黒の矢を箙(えびら)にさして背負い、滝口武士の礼儀作法を忘れないためか、鷹の羽で作った的矢一対をそれに添えて差していた。滋籐の弓を持って煖廷に乗り、乗り替え(予備)の馬を一騎引き連れ、舎人に持盾を脇にはさんで持たせた。
そして自分の館に火をかけて焼き払い、三井寺へと馬を走らせたのであった。
六波羅では、競の館から火が出たといって、騒ぎ立てた。宗盛は急いで出てくると「競はいるか」と尋ねるが、「おりません」という。
「なんと、奴を処理せぬままにして、謀られたか。追いかけて討て」
宗盛はこういったが、競はもともと強弓を射る優れた精兵であり、矢継ぎ早に射る手練で、大力の剛の者である。「二十四本差した矢で、まず二十四人は射殺されるぞ。おとなしくしていろ」といって、向かって行くものはいなかった。
その頃三井寺では、競の噂をしていた。渡辺党の人々が「競を連れてくるべきでしたのに。六波羅に残って、いったいどんなひどい目にあっていることか」といった。
頼政は競の心を知っていたので「競のことだ、理由もなく捕縛されることはあるまい。この私に忠義のある者だ。いましばらく見ているといい、じきに参るだろう」と言うやいなや、競がふいに現れた。「やはりな」という。競は畏まってこう述べた。
「伊豆守の木の下の代わりに、六波羅の煖廷をとって参りました。献上いたします」
競が煖廷を献上すると、仲綱は大いに喜んだ。すぐさま馬のたてがみを切り、焼印を押すと、次の夜には六波羅へ遣わし、夜中頃に宗盛邸の門の内へ追い入れた。
煖廷は厩に入り、他の馬たちと噛み合ったので、舎人はみな驚いて「煖廷が参りました」といった。宗盛が急いで出て見ると、”昔は煖廷、今は平宗盛入道”という焼印が押されていた。
「いまいましい競め、時機を逃して謀られてしまったことが実に無念だ。今度、三井寺に攻め入るときは、なんとしてでもまず、競を生け捕りにしろ。のこぎりで首を切ってくれる」
宗盛は何度も躍り上がって怒りを顕にしたが、煖廷のたてがみは生えず、焼印もなくならないのであった。
挿絵:やっち
文章:くさぶき
平家物語「競(後編)」登場人物紹介
<渡辺源三滝口競(渡辺競)>
頼政の家臣。滝口武士(宮中の警衛にあたる侍。詰め所が御溝水の落ちる滝口にあったのが由来)
<源三位入道頼政(源頼政)>
高倉宮に平氏打倒を勧めて兵を挙げる。
<伊豆守仲綱(源仲綱)>
頼政の嫡子。父とともに挙兵する。
<前右大将宗盛(平宗盛)>
清盛の三男。重盛の死後、平家の後継となる。