嵐の夜、官軍を従えた鎌足公はいよいよ入鹿の討伐に向かう。


入鹿の討伐

 次第に更けゆく夜の嵐に混じって聞こえる人馬の音、法螺貝と鐘、そして太鼓を乱調に打ち立て打ち立て鬨の声。官軍を随えた鎌足公は薄紫の狩衣の下に腹巻と鎖帷子を着込み、玄上太郎をお供に悠々とお入りになる。
 二人の敵を討ちとめて出てきた淡海公と金輪五郎今国は言葉を揃えて、
「我が君の御賢察の如く、稀代のこの笛のお陰で入鹿はこの有様です。しかし十束の剣は……」
「ホォ気遣い致すな。もはや我が手に入ったぞよ。というのも、かねてより徒党を集めておったかたらひ山の頂上によじ登ったところ、黒雲が俄かに覆いかかり、一つの金龍が我が袖に落ちるやいなや十束の剣が顕現したのだ。今よりはかの山を竜岳と名付けるべし」
 このように高らかに仰せになったかたらひ山こそ、鎌足大臣の霊嶺なのである。
 玄上太郎が進み出て、
「ヤアヤア入鹿、これまで君主の恩を厚く蒙りながら、王位を犯した天罰が、ただ今その身に帰すると知れ。見参やッ」
 と呼ばると、入鹿は伏していた両眼をくわっと見開き、うなり声を上げ、
「ヤァ仰々しや、鎌足。我に刃向かおうなどとは、鶏卵を以て岩石に当たろうとするよりも危うい企み。目に物見せてくれるわ」
 そう言って遥か高い楼より飛び降りた。
 玄上太郎、金輪五郎が双方より包むように入鹿に斬りかかる。しかしちっとも怯まぬ勇猛力、入鹿は彼らを右手でなぎ払い、左手でかなぐり捨て、追い立て追い立て追い回し、鎌足めがけて飛びかかる。
 鎌足公は騒がず、八咫の神鏡を手に捧げ、入鹿の頭に差し向ければ、鏡に映る降魔の相と和光のきらめきに眼もくらみ、入鹿は勢いを失ってたじたじになった。
 隙を伺う勇者二人が入鹿の腰をしっかと組みつく。しかし入鹿は「シヤ面倒な」と両手に二人を引っさげ、打ち付け打ち付け膝に敷き込み、動かせない。
 鎌足は入鹿の後ろにツッと寄り、神通稀代の焼鎌で、入鹿の首を水もたまらず掻き斬った。首はそのまま虚空に上り、火焔をくわっと吐きかけ吐きかけ飛ぶ鳥の如く駆け回る。その一念の何と恐ろしいことか。

 淡海はそれをキッと見て、重獣品という呪文を唱え、栄華を誇った朝敵の、その繁栄のもとをたちまち打ち払った。
 鎌足の徳、剣の徳、げに誉れある藤原氏、花も綻ぶ橘姫。誠を照らす神鏡は尊い伊勢の大神の御神体であり、思えばこれは伊勢の大神と三輪の大神ならぬお三輪の加護によりなし得たこと。
 しづの苧環のように繰り言を連綿と繰り返し、末の世に伝える物語である。


挿絵:雷万郎
文章:水月


妹背山婦女庭訓「御殿の場(8)」登場人物紹介

<鎌足公>
帝の忠臣。逆臣入鹿を討つため活躍する。
<淡海公>
鎌足の息子。
<玄上太郎>
またの名を芝六。鎌足の家臣。
<金輪五郎今国>
鎌足の家臣。
<蘇我入鹿>
政を欲しいままにした逆臣。