求馬(淡海)に一目会いたいと屋敷へやって来たお三輪は女中達に見咎められ私刑に遭う。
行き交う女中がお三輪を見咎めて、一人が立ち止まれば二人、三人、四人といつのまにか友を呼ぶ千鳥のようにわらわらとそこかしこから寄りたかってきた。
「ついぞ見慣れぬ女子じゃが、そなたはマァ誰じゃ、何者じゃ」
「ハイハイ、いや私はお宅の、ああそうそう、さっきのお清殿は寺子屋の友達です。奉公に出られてから久しく会わぬ懐かしさからちょっと見舞いに寄りましたら、これはマァマァよく来た、お上がりなさい、お茶をどうぞ、それから煙草も、と。
そういえば、お上にはそれはそれはおめでたい祝言があるとか。聞けば聞くほど涙がこぼれて、本当におめでたいことにございますね。ほんにこちらのお方のようなやんごとないお方の御祝言とはどのようなものか、このままでは置かぬ、拝んでやれば腹も癒えるかとうかうかここまで参りました。どうぞ皆様のお心で聟様のお顔をちょっとでも拝ませてもろうたらかたじけのうござりまする」
と言う顔は恨みで紫色に染まっている。
聟様である淡海公のゆかりのある女であろうと悟った女中達は、嬲ってやろうと互いに目配せ、袖引きをし合った。
「まあまあそなたは幸せですね。こういう折に来合わせ、お座敷を拝むということは女の身では手柄者ですこと。しかしこちらが事情を呑み込んでそなたをお座敷に出すとすれば、何かお役目を果たしてもらわねば。そうですわ、皆様。いっそのことこの者に酌をさせようではありませんか」
「それは良いお考え」
「あの、申し、その酌というのはいったい」
「おぉ何のまた、そなたが知っているものか。今ここで教えてやろう。幸いここに御酒宴の銚子と島台がある。聟君役は紅葉の局、梅の局は嫁君役。残りは介添え、待ち女郎を」
と桜の局が指図して、嫌がるお三輪に長柄の銚子を持たせ、手を添えて、
「さあ盃は三つ重ね、嫁君へ二度注いで、左へ二歩。コレ立つのじゃ、えぇい何じゃいの、うかうかせずによう覚えや。三度目を注いで聟君へ。これ酒がこぼれるわいな、不調法な。これからが乱酒、謳いもの。これも嗜みがなくてはならぬ。さぁ四海波など歌いなさいな」
「えぇっ」
「えぇとは何よ。そんなら聟様を拝ますことはできないわ。それが嫌なら早う歌いなさいよ」
女中に急き立てられて、お三輪は「これがマァ何とせん秋万歳の千箱の玉」と血の涙を流して声を詰まらせ泣きじゃくる。
「おぉめでたく哀れにできました。今度はお色直しにはんなりと梅が枝でも蕗組でも、サァ聞きたい聞きたい、所望じゃ所望じゃ」
「とんでもないことを仰いますな。田舎育ちの藪鶯である私はホーホケキョも片言ばかり。往来の無駄口や馬子の歌ならば聞いてもおりますが、もうどうぞお赦しくださいな。さぁ早うその聟様に」
「聟様が見たくば早う歌いなさい。馬子の歌なら面白かろう。ついでに振りも立ってしなさい。嫌ならこっちもなりません。帰りや帰りや」
と引き出され、
「さぁさぁさぁ、どうして嫌だと申しましょう」
「そんなら歌いなさい」
「アイ、歌いまする」
と泣く泣く、涙にしぼる振袖を鞭よ手綱よと見立てて立ち上がり、
「『竹にサ、雀はナァ、品よく止まるナ、止めてサ、止まらぬナ、色の道かいなアアヨ、エェここな、ほてっ腹め』とこのように申しまする」
と打ち伏せば、皆々一同に手を打って、
「さても素晴らしい嗜みごと、よい慰みで我々のほてっ腹も捩れました。馬子殿、大儀であった」
と言い捨てて行ってしまおうとしたのでお三輪は驚き、
「これ申し、私も共に」
と取りすがるが振り放されて転び、寝ながら女中の裾にしがみつき、引きずられながら声を上げた。
「のぅ皆さん、お情けない。どうぞ私もご一緒に。連れて行ってくださりませ。お慈悲を、お慈悲を」
と手を合わせ、拝み回すお三輪を叩きのけ、
「おぉしつこい。とても及ばぬ恋争い。お姫様と張り合うとは。叶わぬことじゃ、やめておくれ」
身の程知らずな女を躾けてやろうと女中達はお三輪の耳を引っ張るやら脇の隙間から手を差し入れてくすぐるやら、つねったり叩いたりして突き倒し、
「サァサァこれで姫様の悋気の怒りを代わりに晴らしたことだし、いよいよめでたい御祝言、三国一じゃ、聟を取り済ましたシャンシャンシャンと済んだ」
と打ち笑ってそれぞれの局へ入っていった。
挿絵:708(ナオヤ)
文章:水月
妹背山婦女庭訓「御殿の場(5)」登場人物紹介
〈お三輪〉
杉酒屋の娘。求馬を慕っている。