生前の重盛は不思議な夢を見て平家の行く末を悟り、息子に無文の太刀を譲渡する。


 内大臣重盛は、未来を予知する不思議な力を生まれつき持っていたのだろうか。去る4月7日に見た夢は、まったく不思議なものだった。
 その内容はこうだ。どことも知れぬ浜辺の道をはるばる歩いていると、道の傍らに大きな鳥居があった。あれはどういう鳥居か尋ねると、「春日大明神(春日大社)の鳥居でございます」と応える。
 人だかりがある。その中に、法師の生首がひとつ。あの首はなにか尋ねると、「これは平家太政入道殿(清盛)の御首でございます。悪行が過ぎたため、当社の大明神が召し取られたのです」
 そこで重盛は夢から目覚めた。
「平家は保元平治以来、朝敵をたびたび平定してきた。勧賞は身に余るほどで、おそれおおくも天皇の外戚として、一族で昇進した者は60余名。20余年このかた、言葉に尽くせぬほど富み栄えてきたというのに。父上の悪行が過ぎたことで、平家の命運はもはや尽きてしまうに違いない」
 と、過去や未来のことをあれこれと考え続け、重盛はむせび泣いた。
 その時、妻戸をとんとんと叩く音。
「誰だ。誰があの戸を叩いている」
「瀬尾太郎兼康が参っております」
「いったい何の用だ」
「たったいま不思議な事がございました。夜が明けるのも遅い気がしたため、それを申すために参ったのです。どうぞお人払いを」
 その言葉に、重盛は人を遠ざけ、兼康と対面した。そこで兼康は見た夢のありさまを、始めから終わりまで事細かに話した。その内容は、重盛の見た夢と同じものだった。瀬尾太郎兼康は神霊にも通じる者だったのか、と重盛は感心した。
 その朝、重盛の嫡子・権亮少将維盛が院の御所へ参上しようしたところ、重盛に呼び止められた。
「親の身でこんなことを言うのもおこがましいが、そなたは、こどもの中ではとても優れているように思う。だが、この世の中はいったいどうなるのかと、私は不安でならない。貞能はいないか。少将に酒を勧めよ」
 重盛に言われ、貞能は御酌をしに参った。
「この盃をまず少将にとらせたいが、親より先には飲まないだろうから、私がまず取ってから少将に」
 と、三度自分で受けてから少将にさした。少将維盛が三度受けると、「貞能、引出物を出せ」と言ったので、貞能はかしこまって、錦の袋に入れた太刀を取り出す。
 これは、我が家に伝わる小烏という太刀だろうかと、維盛がたいそう嬉しそうに見ていたが、それは大臣の葬儀の際に用いる無紋の太刀であった。鞘や柄は黒漆塗り。無地で金具にも飾りはついていない。
 それを見て、維盛ははっと顔色が変わる。不吉な様子の維盛に、重盛ははらはらと涙を流し、
「維盛、これは貞能の咎などではない。この太刀は、大臣の葬儀に用いる無紋の太刀。清盛入道になにかあったときは、私が佩いて棺の供をしようと持っていたが、いまは父より私が先立つ予感がする。これはそなたに差し上げよう」と言った。

 維盛はこれを聞き、なにも返事をすることができず、涙にむせび伏した。その日は出仕せず、衣を引きかぶって臥していた。
 その後、重盛は熊野に参詣。帰ってから病となり、間もなく亡くなってしまった。維盛は、父がなぜ無紋の太刀を渡したのか、ここで悟るのであった。


挿絵:708(ナオヤ)[ゲスト参加]
文章:くさぶき


平家物語「無文」登場人物紹介

<小松の大臣(平重盛)>
平清盛の嫡男。六波羅小松第に居を構えたことから小松の大臣、小松殿とも呼ばれる。
<入道相国(平清盛)>
平家の棟梁。
<権亮少将維盛(平維盛)>
重盛の嫡男。
<瀬尾太郎兼康(妹尾兼康)>
平氏方の武将。
<平貞能>
平清盛の家令。