贅を凝らした入鹿の山御殿が完成し、殿上人からの贈り物を並べて歓楽の宴が催される。


入鹿の御殿
栄える花も盛りなれば、それが嵐が過ぎ去るように衰えることなどいざ知らず、白雲の上に高くそびえる高御座。新たに造った玉殿は、かの中国の始皇帝の阿房殿をこの三笠山に移したが如き威容で、月も入鹿の威光に覆い隠されてしまうのは是非もないことであった。
脇の小門より宮越玄蕃と荒巻弥藤次が、君主のお覚えがめでたいことを笠に着て帆掛烏帽子を反り返らせて入ってくる。
「おお召使ども、朝の掃除かえ」
「いや何、玄蕃どの。このたび新たに築かれたこの山御殿、朝日に輝くところは吉野の桜や竜田の紅葉を一度に見たとしても及びますまい」
「何さ何さ、いやもう筆舌に尽くし難きこの素晴らしさ。瑪瑙の梁に珊瑚の柱、水晶の御簾に瑠璃の障子。コレ見られよ。庭の飛び石は琥珀、砂は金銀。また釣殿に上って下界を見下ろせば、春日の杉も前栽のキノコ、若草山や葛籠山は撒き石同然、猿沢池はお庭の井戸に見えまする」
などと玄蕃と弥藤次が話していると、召使どももその話の尾に付いて喋り出す。
「ああご立派な普請でござります。そうして何やらふつふつと良い匂いがいたします」
「オオその筈よ。縁板や勾欄に至るまで皆、伽羅と沈香でできておる」
「これはしたり。抹香やおが屑などとは違うものなのじゃのぅ又次や」
「そうじゃ。またお学問所は唐の国を模倣して唐木を使っておるらしい」
「ハァン、その唐木とは何ぞ」
「おォまずは花梨」
「フン」
「紫檀」
「フン」
「黒檀」
「ホイ」
「鉄刀木(たがやさん)」
「ホイ」
「占い屋さん」
「ホイ」
「当卦に本卦」
「ヤ」
「手相」
「ヤ」
「男女相性」
「ヤ」
「墨占い」
「これこれ」
「失せ物、待ち人」
「これこれこれ」
「書判の善悪占い」
「あァこれこれこれ。そりゃ山御殿ではのうて山伏ではないか」
「さぁ王様もこの山で寝るのだから山伏じゃ」
「ええい人を嘲弄するか」
「いや長老とは坊主のことか」
「いいや女子のことじゃ」
「そりゃ女郎じゃないか」
「いや如露(じょうろ)とは花に水をかけるものじゃ」
「ええいああ言えばこう言う。いくら貴様がくずなの弁でも俺にゃ敵わん」
「俺の弁は雄弁で知られるお釈迦様の弟子、富楼那(ふるな)の弁だぞ。くずなとは魚じゃないかい」
イヤくずなじゃ、イヤイヤふるなじゃ、くずなじゃ、ふるなじゃ、くずなじゃ、ふるなじゃ、と召使達は言い合っている。
「ヤイヤイ騒がしい。そりゃ何事じゃ。掃除が終わったなら早く下がれ。皆行け行け」
玄蕃は召使達を追い払って弥藤次に言った。
「アレお聞きあれ、弥藤次どの。我が君がこの御殿へお移りと見えて、物音が近くに聞こえ申す」「いかにも、さよう」
と、威儀を正し、厳重な様子で控え居る。
御祝儀の飾り物
花に暮らし、月に明かし、酒池の宴に酔い疲れ、御殿と御殿を繋ぐ通い路も数多の官女が楽を奏しながら歩いて君主の機嫌をとっている。笛や簫、篳篥、太鼓の音が鶏徳という曲の調べを奏で、己の不徳を示しているようではあるが、繧繝に縁取られた畳に蜀錦の褥を重ね、その上にむんずと座った入鹿の有様は実に比類なき栄華の絶頂である。
玄蕃と弥藤次は頭を下げ、
「先だって公卿殿上人達より君の寿を祝って献上された島台(祝いの席に用いる飾り物)を、ソレ女中方、ご覧に入れよ」
アッと答えて女中達が持ってきたのは思い思いの飾り物。
「さてさて君の寿を祝う鶴亀松竹の、深い緑の影は広く、松と鶴亀を合わせて一万二千の齢を君に譲り寿ぐ蓬莱山。さてまた次の島台は周の帝の寵愛深き菊慈童。げに寵愛の色菊。菊慈童が妙文を菊の葉にしたためたときに使った筆の先の長い毛は八百歳の長寿の象徴であり、不老不死の薬の名も菊の酒と申します。そしてこちらは酌めども尽きぬ泉の壺。殿上人の方々からのお祝いの品にございます」
玄蕃と弥藤次はそう述べる。
ひとしお興に入って入鹿は悦び、
「おぉ百司百官より下々の万民に至るまで、我が在位を長かれと願うことは各々の身に神仏の加護を受けること。なお万歳を唱えよ」
と高慢な詔を下した。

玄蕃と弥藤次の両人はハッと階下にひれ伏し、
「我々は申すに及ばず、民百姓も手を打って舞い楽しんでおります。まことに、戸締りなど必要のないほど良き御代とはまさに今この時にございます」
と媚びへつらう。
猩々の人形に見惚れた官女達は
「これこれ、この猩々が手に持った酌盃も取り外し、壺には本物の酒を湛えました。これで御酒宴を始めましょう」
「それは良いお慰み。さあさあ早う」
とそれぞれに盃を手に取り回れや回れや万代も尽きじ、と尽きせぬ歓楽の宴を催す。


挿絵:蓮むい
文章:水月


妹背山婦女庭訓「御殿の場(1)」登場人物紹介

<蘇我入鹿>
大臣だったが王位を簒奪する。
<宮越玄蕃・荒巻弥藤次>
入鹿に付き従う武士。