あやしい巫女の事を問いただすお三輪。二人は互いに求馬を渡すまいとするが、そこにお三輪の母が戻ってくる。


 求馬の包み隠そうとする言葉に感付いて、薄絹から漏れる月の光ように美しい巫女は、これみよがしにツンと拗ねて見せた。
「あら、求馬様。その女性は下女ですか、誰でございます」
「いや、これはこの酒屋さんの娘で……」
「まあ、それは。お隣の娘さんとさっきから長い間、なんの用事がありまして?」
 そう問われた求馬はモジモジとして答えない。その素振りを見たお三輪は、二人の関係に感付いき、負けじと笑みを浮かべた。
「ああ、これは巫女様とやら。人を下女か何かと馬鹿にした物言いは聞き捨てなりませんね。わたし、求馬様には用がたあんとございます。あなたの迷惑になるわけじゃあないし、こちらに構ってくださいますな」
「まあ、なんてはしたない。そのように言われても、あなたの用を聞く求馬様じゃあないわ。さあ、帰りましょう」
 そう言って求馬の手を取ると、それをお三輪が隔てて、
「いえいえいえ。わたしがまだ用がある。帰らせることはなりません」
「いいや、ここに置きはしない。邪魔しないで、そこを通しなさい」
 巫女が求馬の手を引き立ち出ようすると、「いや放すまい」とお三輪も求馬の手を引く。
 あちらへ引けばこちらへ引き、二人の女性のその様は、さしずめ渚に戯れる雁が翼をふるようで、振り袖があちらへこちらへと優雅に振れる。

 ちょうどその時、二人の女が恋を争う現場に、息を切らしてこの家の母が戻ってきた。
「やあ求馬殿、あなたには用がある。どっこへやるわけにもいかぬ。動いてはならぬぞ」
 何かは知らないが、白絹の姫は外へ出て行くのを、止める求馬にまた縋る娘を押し分け、母親は、「求馬やるまい」と引き止める。繋ぐ手と手が引き合って、まるで柵が風に押されるような争いとなった。
 そこに子太郎が現れ、見回して、これ幸いと母親の帯にしっかりくくった縄の先を、酒の入った桶の飲み口に結びつけ納屋へ逃げる。
 互いに恋慕い、姿乱れる姫百合のような姫が手を振り切って、一時に乱れて走るのを、母親が「やるまい」と追おうとする。すると、その拍子に桶に繋がれた縄が引かれ、桶の飲み口が抜けて、酒が滝のように流れ出た。母親がびっくりしてうろたえているうちに、三人は門へ、遅れまいと同じ思いで後先になりながら走った。 


挿絵:あんこ
文章:黒嵜資子


妹背山婦女庭訓「お三輪と姫との恋争い(前)」登場人物紹介

<其原求馬>
烏帽子折(烏帽子を作る職人)
<お三輪>
三輪の里にある杉酒屋の娘。近所に住み始めた其原求馬と恋仲になる。
<子太郎>
杉酒屋の丁稚。
<春日の巫女>
求馬いわく、連れ合いの禰宜殿に烏帽子をあつらえるために求馬の元を訪れたという。