蝦夷子の罪を暴くため、彼の館に勅使がやって来るが、事態は思わぬ方向へ動いてゆく。
蝦夷子切腹
それから程なくして、細殿を通って勅使がやってきた。入り来る勅使は安倍中納言行主。副使である武官の大判事清澄とともに威儀を正して座に付けば、出迎える主こと蝦夷子も衣服を改め、勅使を上座に招いて頭を下げた。
「御勅使として行主殿、雪の道中をお越しいただき、御苦労に存じます」
蝦夷子の挨拶が終わると、行主は膝を詰めてこう言った。
「今日の勅使は尋常の沙汰にあらず。貴卿は父君馬子殿の頃より代々の功、忠勤あつく、君主より寵愛を賜ることに驕り、逆心の徒を説き伏せて味方にして帝位を掠め取ろうと企てたということが帝の御耳にも届いておる。それ故、本来であれば諸国より集まった勤番の者や武官がこの館を取り囲むところではあるが、この行主は一家のよしみで、老臣の蝦夷子大臣に軽はずみなことをしてはならないと、この勅使の役目を乞うて引き受け、取り敢えずこちらへ馳せ向かったものである。
思うところを包み隠さず申されよ」
これを聞いて尚、蝦夷子は威丈高な様子である。
「ハハハハハハ、何事かと思えば、この老人に逆心ありとや。先程より遠く聞ゆる鐘太鼓、すわ宮中に大事ありと思う折から我が家へ勅使!
佞人、讒者の言葉を聞き入れ、浅はかなお考えの帝の御疑い、お答え申すことも馬鹿馬鹿しい」
と、蝦夷子が言葉鋭く言い放つ。
大判事清澄は蝦夷子に進み寄った。
「ヤァ血迷いたまうか、蝦夷子公!
行主公は一家のよしみで御身から白状するようにとお勧めなさったのだぞ。ことは帝の御耳にも届く一大事。こうして参ったは再三吟味あってのこと。いかほどに抗われようと、抜き差しならぬ証拠がある」
そう言って大判事が懐より取り出し投げやった一巻を蝦夷子がおっ取って見てみれば、覚えのある連判状、序文の手跡、誓書の名印。
さしもの蝦夷子もこの動かぬ証拠にハッとばかりに驚きの面色である。
「これをどうご覧になる、蝦夷子殿。我が聟(むこ)である入鹿大臣はこの一巻を帝に捧げ『諌めても聞き入れぬ父の逆心、子として、これを明らかにすることは不孝の罪の甚だしきこと。なれど、君恩に代えることはできないので、こうしてお伝えいたしました。私は祖父馬子の意志を継ぎ、仏法に帰依いたしますので遁世するほか望みはございません』と言って引き篭もられた。しかし、我が娘めどの方ははかりごとの為に命を捨てた。先程彼女が焼き捨てた贋物の連判状はまことに逆心があるかないかを知らせるための狼煙であった。
謀反の心があったと、貴殿の口より先程すでに白状した上は、これ以上言い訳もあるまい。何と、何と」
行主より詰問され、蝦夷子はただ黙然とするばかりであった。
大判事清澄はよく心得ており、三方に切腹用の刀を乗せ、蝦夷子の前に置いた。
行主が蝦夷子のほうへ立ち寄り、傍にある雪人形を手に取る。
「これを見られよ。愚かなたとえではあるが、この束帯姿の雪人形は火に当てれば忽ち水となって消えてしまう。
その人の分を超えた逆心が消え果てるのは天罰だ。せめて最期はこの雪のごとく潔く自害して果てられよ」
蝦夷子はその諌めの言葉を耳にも入れず、無念に固まる心のままに固い雪人形を傍らの火鉢の炎の上で掴み砕いた。水煙が上がる。
蝦夷子は衣服をくつろげ刀を自分の腹に突き立て、怒りに目をむいた。
「エエ無念、口惜しや。仕込みに仕込んだ我が大望、現在の倅入鹿の手によって洩れたのは我が運命の尽きるところ。さりながら、この蝦夷子世を去らば、見よ見よ忽ち天地は暗闇に覆われるであろう。かたわ者の帝をはじめ、公卿どもよ思い知るがいい」
そう言って腹に突き立てた刀をきりきりと引き回す。
太刀を手に後ろに回り、大判事がはっしと蝦夷子の首を落としたが、それと同時に一筋の矢が飛んできて行主の胸板を射抜いた。
行主はあえなき最期を遂げた。
入鹿の本心
これはどういうことだと仰天し、大判事清澄は途方に暮れて立ちまどっていると、そこに、
「ヤァ清澄、そう驚くことはない」
そう声をかけて、一間の襖を二人の武士に引き払わせ、築山の岩の陰より入鹿大臣がしずしずと姿を現した。乱れ髪に麻の衣、見るも凄まじい有髪の僧形である。
大判事はぎょっとして、
「ヤァこれは入定したはずの入鹿公。このような不思議の対面、いぶかしいことで」
と、入鹿に立ち寄れば、
「ホホ、そうであろうそうであろう。事の次第を語って聞かせてやろう。
父の蝦夷子は年を重ね、反逆の企てはしていたが器が小さく、なかなかその大望は叶わなかった。そこで、この入鹿、表向きは仁の心を装い、父の悪事を疎む形で仏法に帰依すると称して引き篭もり、帝をはじめ数多の公卿の目を父蝦夷子に引きつけておいて油断させているうちに行法の築山より宮中の宝物庫まで隠れ道を掘って忍び入り、以前より決められていた通り、神璽と御鏡は失われていたが、叢雲の宝剣は易々と手に入った。父の命と妻の命をゴミのように見捨てたのはこの時を待つための謀だ。ああ心地良い。すっきりした」
と、入鹿のうなり声が御殿に響く。
さては、と驚く大判事。玄蕃と弥藤次が弓と矢をつがえ、入鹿大臣を取り囲む。が、大臣は重ねて言った。
「馬鹿者の舅、行主を血祭りに手にかけた。そなたについては思うところがある。我が味方に付くならばその考えの通りにするが、否と言うならば行主と同じようにする。サア自分の思うままに返事をせよ」
大悪不道の入鹿のふるまいに、ここが一大事と大判事は心を決め、入鹿に叩頭した。
「時を得た大臣にどうして背きましょう。我が君と仰ぎ奉ります」
そう申し上げれば、大臣はにっこりと笑い、
「ホホ潔し潔し。三徳を備えたこの入鹿に、天地の間に挟まる者共誰も、敵対する謂われはあるまい。
今日よりは我こそが万乗の主である。おお忌まわしい僧衣であることよ。さあ衣服を改めよう」
そう言って呼ばわる声に応えて数多の官女が姿を見せ、手に手に入鹿に綾錦を着せてゆく。
入鹿は立ち直って大音声を上げた。
「清澄は皇居の案内を、玄蕃と弥藤次はしんがりをつとめよ。これより禁裏へ向かい、帝をはじめ公卿どもに残る宝のありかを責め問い、掴み潰して心のままにしよう。
中門のあたりに私の車を進めよ。官人どもよ、来い」
その声に従い、数多の武官が列を正して先頭を守る。
玄蕃が高下駄を奉ると、ひらりと降り立つその姿、心も雲井に高足駄、門出の音楽が璉然と鳴り響き、またも降り来る雪に供奉する者が柄の長い傘をさしかける。ひらひらと降る雪は入鹿の威光によって払われ、深い思慮のある大判事によって前後の備えもおごそかに、御車は急に時めいて内裏を目指して出発してゆく。
挿絵:あんこ
文章:水月
「蝦夷子館の場(4)」登場人物
<蘇我蝦夷子>
左大臣。謀反を企む。
<安倍行主>
中納言。勅使をつとめる。
<大判事清澄>
武官。行主の副使。
<蘇我入鹿>
蝦夷子の息子で行主の娘婿。