大判事の息子の久我之助清舟は、春日野での狩り帰り、春日社参りの帰りであった太宰少弐の娘、雛鳥と出会い二人は恋に落ちる。その様子をひそかに見ていた蘇我蝦夷子の家来、宮越玄蕃はふたりに詰め寄り脅しかけて…
春日野の社殿前に近い小松原にて。
時雨が止む間に狩りからの戻り道をたどる、美しい少年がいました。
少年の名は、久我之助清舟。大判事清澄の嫡子であります。
その評判の顔を隠すような蓑笠を着け、吹矢筒を担いでいます。
疲れていたのでしょう。春日社に詣でる人びとが休むための捨て床几を見つけると、ちょうどよかったと、それに腰掛けました。
その時。
本社の方から降りてくる一行が見えました。
華やかな人びとの中でひときわ目立つ武家育ちの娘姿で、歳は十六くらいでしょうか。
しぐさや振袖でそれと分かります。
衣を頭からゆるりとかぶり、共の侍女をたくさん連れて清舟の前を通りかかると、ふと娘が振り返りました。
ふたりは顔を見合わせて、互いの見目麗しさにときめきました。
そのまま娘は、思い悩むように立ちすくんでしまいます。
侍女たちはそれを見て、機転を利かせ、
「ねえ桔梗どの、歩き通して姫様もお疲れでしょう。こちらの床几で一休みしませんこと」
「そうね、小菊どの。よく気が付いたわ」
と、娘を誘い、床几に座らせました。
娘の名前を、雛鳥、といいます。
雛鳥は、これも神さまの下さったご縁かしらと嬉しく思いながらも、清舟の美しさに見とれているばかり。そこで侍女たちは、
「あら、お嬢さま。あの殿方がお持ちの遠眼鏡のような筒物が不思議なのですね。失礼ながら私が行って借りてきてお目にかけましょう。桔梗どの、よろしいかしら」
と頷きあうと、隣の床几へ腰をかがめて清舟に伺いました。
「もうし、貴方さまにお願いがございます。こちらのお嬢さまの申されますには、貴方さまがお持ちの遠眼鏡のような物を、しばらくお貸しになってほしいそうでございます」
「よろしいですよ。これは小鳥狩りをするための吹矢筒という物です」
清舟から吹矢筒を手渡されると侍女は、
「まあ、これが吹矢筒ですか。ほらほらお嬢さまご覧くださいな。雛鳥でも大鳥でも、あの御方は吹矢でさっと射られるそうですよ。どうぞ触ってくださいませ。どんな所へも思うまま届きそうな長い筒でございますわね」
などとおどけた様子でふたりの間を取り持とうとします。
それに気付いた清舟は、にっこりと笑顔を投げかけました。
お互いに気持ちがあるのを確認した桔梗は、娘に話しかけました。
「お嬢さま、お気持ちをお伝えなさいませ」
それを聞いた雛鳥は驚き、
「何をいうの。つい先ほど見合ったばかりの方に、どうやって気持ちを伝えろというの。恥ずかしいわ」
と、袖で顔を覆ってしまうのでした。
ふたりが恋の予感にときめいていた時、境内から、代参帰りの蝦夷子家来の宮越玄蕃が、槍や挟箱を持たせた共を連れて出てきました。
雛鳥と清舟に気付いた玄蕃は、共の者を制すると挟箱に腰掛け、ふたりの様子を伺い始めました。
「若侍さま、お嬢さまが申し上げたいことがあるのですが、恥ずかしがっておられます。この吹矢筒はちょうど囁き竹にぴったり。これを使って聞いて差し上げてくださいませ」
玄蕃が見ているとは知らない侍女の小菊は、吹矢筒を耳と口とに当てるしぐさをしながら筒の真ん中を持ちますと、ふたりの仲人役を務めました。
雛鳥は筒の片方に手を添えて、思いのたけを一言囁くと、言葉を聞いた清舟は頷いて返事を囁きました。
気持ちの通じ合った嬉しさに、ふたりは可愛らしく照れて赤くなっています。
侍女たちはふたりを床几へ押しやり、扇を開いて寄り添った雛鳥と清舟は、口と口を合わせて抱き合いました。
それを見た玄蕃。どさりと挟箱から転げ落ち、槍持ちなどは槍を倒して騒ぐものですから、清舟は驚いて立ち上がりました。
玄蕃は起き上がって、
「久我之助どの、うまくやりましたなあ。そこなる娘は先だって亡くなられた太宰少弐の娘。なんと奇妙なことよ。良い所へ出くわしたわ」
と言ったものですから、ふたりはまた驚きました。
「なんと、太宰どのの娘だったのか」
「貴方さまが、大判事さまの御子の久我之助さま」
「亡くなった太宰少弐どのと我が父は遺恨ある者同士。その家の娘とは、何ということ」
「では私と貴方さまは一緒にはなれないのですね。嗚呼」
雛鳥はあまりの驚きと悲しみに泣き出してしまいました。
それを聞きとがめた玄蕃が、
「おふたりは早くも深い間柄となったのかね」
と言うと清舟は慌てて、
「いえ、そんなことはありません。因縁ある家の娘とはつゆ知らず、先ほどの時雨の間に同じ床几で雨宿りしただけなのです」
と返しました。
「ふうん、なるほど。ならばそう思っておこう。しかしこの雛鳥は、私が思いを寄せている。いずれは妻にと我が主人へ願っているのだ。今までのふたりに何があったのか、私の意に随うならば黙ってなかったことにしてやろう」
そう言う玄蕃に、侍女の小菊はさっと割り込みますと、
「これは随分と酔狂な。入鹿さまのような聖人の親が意地の悪い蝦夷子さまで、その家来の小意地悪がうちの姫様を妻になどと。おかしいこと」
などと申してケラケラ笑います。
「やいこの女。その言葉覚えておれ。これよりすぐに御所に馳せ、ふたりのことを言いふらしてやろう。他人事ではすまぬぞ」
バカにされた玄蕃は、それを睨みつけながら走り去ろうとしました。
慌てた侍女たちは玄蕃の袖にすがりつき、
「申し訳ございません。これもひとえに貴方さまの気を引くため。貴方さまは正直な御方、どうぞお許しを」
と話すのでした。
「では俺の言うとおりにするか」
「もちろんですとも」
「ならば許そう。娘が本当にはい、と言うかどうか、先ほどの吹矢筒の囁き竹で聞きたい、聞きたいなあ」
「まあ、よく見てらっしゃる方。お望み通り、囁き竹でお返事を聞かせます。さあ耳を当てて」
「うむ」
色めき立った玄蕃は、吹矢筒に耳を当てて腰を浮かしながら、雛鳥の返事を待ちます。
「さあ雛鳥さま、どうかよいお返事を。あ、左様ですか。もし玄蕃さま、恥ずかしがっていらっしゃいますので、少しの間目を閉じていてくださいませ」
「ああ、おお、なるほど、なるほど。そうであろうな」
玄蕃は雛鳥の返事を想像して、赤ら顔に似合わぬとろけた目つきになりました。
小菊は今よ、と、吹矢を筒に入れ込むと、ふっと息を吹きました。
耳に吹矢が刺さった玄蕃は、「いたたたた」と狼狽えます。
その隙に侍女たちは、雛鳥を連れて館へ逃げ去りました。
玄蕃は刺さった吹矢を抜くと、怒りながらそれを追おうとします。
「たかだか女の戯れ事です。それに目くじらを立ててはかえって恥になりましょう」
清舟が玄蕃をどうにか留めました。
そこへ横道より、沢山の侍が走ってきました。
「清舟どの、大変です。先ほど采女の局さまが禁裏を抜け出したらしく、行方不明になっております。貴殿は采女さまの傅き役ゆえ早く知らさねばと、参りました」
そう告げられた清舟は驚いて、
「なんだと、采女さまが。しかし、それ程遠くには行かれまい。貴殿方はすぐにすべての出口を調べよ。私は山手を探してみる」
と、侍たちとともに御所へ向かうのでした。
「ほう、采女の出奔とは、聞き捨てならぬなあ。蝦夷子さまにお知らせせねば」
この一大事を聞いた宮越玄蕃は、ひとり呟きながら、にやりと笑いました。
挿絵:茶蕗
文章:蓮むい
「春日の小松原の場」登場人物
<久我之助清舟>
大判事清澄の嫡子。美少年。
<雛鳥>
太宰少弐の娘。
<桔梗・小菊>
雛鳥の侍女。
<宮越玄蕃>
蘇我蝦夷子の家来。雛鳥を嫁にしようと懸想中。