645年、大極殿にて。帝の臨席する儀式の席で中大兄皇子と中臣鎌足は遂に蘇我入鹿暗殺計画を実行に移す。


鹿履三轉
 皇極天皇が大極殿にお出ましになり、殿舎の軒に設けられた席に着かれた。傍らには古人大兄皇子が侍している。女帝は舎人に命じて、急ぎ宮中へ参るようにと蘇我入鹿をお召しになった。
 お召しを受けた入鹿は立ち上がって沓を履こうとしたが、履こうとすると沓がクルクルと三回ほど回ってしまい、なかなか履くことができない。このことに入鹿は何やら嫌な予感がして参内を取りやめたいと思ったが、舎人がしきりに急かすので、やめるというわけにもいかず、大極殿へ馳せ参じた。

入鹿解劔
 中臣連鎌足はかねてより、入鹿が非常に疑り深い性格で、日夜剣を帯びていることを知っていた。そこでこの日は芝居をして入鹿に剣を外させ、それを従者に預けた。

鎌足責勵
 入鹿は宮中に入り、席に着いた。それを見届けると、中大兄皇子は衛門府に命じて十二の門をすべて一斉に封鎖させた。そして、皇子は自ら長槍を手に取ると、殿舎の影に隠れた。鎌足は弓と羽の付いた矢を帯びていた。
 網田と古麻呂の二人が斬首役として差し向けられる手筈になっている。しかしながら、二人とも蘇我入鹿の威容を畏れるあまり汗がだらだら流れて動くことができない。飯に水をかけて何とか流し込もうとするものの喉を通らず、吐き戻してしまうといった有様である。鎌足はこのことを責め、同時に、二人を激励した。

入鹿怪問
 儀式が始まり、山田臣(蘇我倉山田石川麻呂)が進み出て上表文を読んだ。しかし、文がまもなく終わろうかというときになって身体が震え出し、声も震え、とうとう読むことができなくなってしまった。
 入鹿は不審に思い、山田臣に問うた。「いったい何をそのように恐れているのか」と。「帝のおわす御席の近くに侍っておりますれば、不覚にも平静さを失ってしまいました」山田臣はそう答えた。

誅殺入鹿
 中大兄皇子と中臣鎌足は、古麻呂達が蘇我入鹿の威を畏れるあまり汗を流し、踏み込めないでいるのを見て叱責した。そして、すぐに彼らを率い、共に剣を抜いて入鹿の肩に斬りつけた。
 入鹿は驚いて立ち上がった。古麻呂が剣を握り、その脚を斬る。入鹿は這うように女帝の座す高御座に近づき、叩頭して女帝に申し上げた。「私はいったい何の罪を犯したというのですか。わかりません。どうか審議をしてくださいますようお願い申し上げます」と。女帝は大いに驚いて、これは如何なることか、と皇子に問い質した。皇子は平伏して答えた。「鞍作(入鹿)は天宗を滅ぼさんとし、皇位を傾けました。鞍作が天孫に取って代わるというようなことが果たしてあってもよいものでしょうか」と。これは、入鹿が山背大兄王の一族を滅ぼしたことを指しているのである。
 帝は高御座から立ち上がり、殿舎の奥へ入られた。そして、扉をご自分の手でお閉めになった。
 そこで、ついに古麻呂達は蘇我入鹿を誅殺したのである。

 一説によれば、鎌足が太刀で入鹿の肩を打ち落とし、中大兄皇子が剣でもってその首を落としたのだという。入鹿の首は高御座まで飛んだといわれている。また、飛んだ入鹿の首が御簾に噛み付いたという一説や、首が飛んで石柱に当たり、四十回ほど跳ねたという一説もある。さらに、このような一説もある。入鹿が立ち上がって逃げたときに中大兄と鎌足は目配せしあって共に立ち上がり、入鹿を斬った。そのとき数升もの血が流れ、斬り伏せられた入鹿は目を怒らせて身体を動かした。鎌足が入鹿の首を斬り落とすと、その首は数度躍動したという。
 このとき中臣連鎌足は三十一歳。
 かくて宮中は喜びに振動し、皆が万歳と歌ったのであった。


挿絵:茶蕗
文章:水月


「鹿履三轉〜誅殺入鹿」登場人物

〈中臣鎌足〉
蘇我入鹿暗殺の首謀者。後の藤原鎌足。
〈中大兄皇子〉
もう一人の首謀者。後の天智天皇。
〈蘇我入鹿〉
蘇我本宗家の当主。朝廷の実力者。
〈皇極天皇〉
当代の帝で中大兄皇子の母。
〈蘇我倉山田石川麻呂〉
山田臣。蘇我家の分家の人。中大兄皇子の舅。
〈古人大兄皇子〉
中大兄皇子の異母兄で蘇我入鹿のいとこ。
〈古麻呂と網田〉
蘇我入鹿暗殺のための刺客。