主君にふさわしい人物を探していた鎌足は、法興寺での蹴鞠会で初めて中大兄皇子と出会う。



(魚水素懐)
 それまで軽皇子は鎌足と良好な関係であった。しかし軽皇子の器量は、共に大事を謀るに足るものではない、と鎌足は考えた。そこで他に主とすべき人物を探すため王室を見てみると、ただひとり中大兄皇子だけが性格は雄大で頭脳英徹であった。乱れた世の中を治めてゆくのに十分な人物であると鎌足は判断したが、参詣する術はなかった。
 ところが甲辰644年3月、法興寺(いまの飛鳥寺)にある槻の木の下で蹴鞠をしていた中大兄の沓が、鞠を蹴ったひょうしに脱げ落ちた。入鹿臣はその様子を見て笑ったが、鎌足連はその沓を手のひらに持ち、中大兄に差し出した。中大兄は恭しくそれを受け取った。
これによりお互い親密になり、その様は水魚の交わりとも言うべく、互いの心に思うところを述べ、隠し立てするところはなにもなかった。

(蝦夷起家)
 蝦夷大臣とその息子入鹿とは、悪行を積み重ねること年々深く、才なくしてその地位にいること日々増してゆき、君臣の序列を破って国家権力を我がものとしてきた。
 舒明天皇3年(辛卯)11月、蝦夷が甘樫丘に2つの屋敷を建て、蝦夷の家を上宮門、入鹿の家を春宮門、そして子どもたちの家を王子家と呼んだ。外には城郭をかまえ、門の傍らに武器庫を建て、畝傍の東に池を掘って出城とした。


挿絵:時雨七名
文章:くさぶき


「魚水素懐・蝦夷起家」登場人物

<藤原鎌足>
藤原氏の始祖。大化の改新の中心人物。
<軽皇子>
後の孝徳天皇。第36代天皇。中大兄の叔父。
<中大兄皇子>
後の天智天皇。第38代天皇。大化の改新の中心人物。
<蘇我蝦夷>
通称・豊浦大臣(とゆらのおおおみ)。蘇我馬子は実父。
<蘇我入鹿>
蘇我蝦夷の子。蝦夷から位を譲られた後、政治を執り権勢をふるう。